《 絵ごころでつながる ー 多磨全生園絵画の100年 》:国立ハンセン病資料館

 多磨全生園の正門をくぐり、目的地へ最短ルートで行こうとした先に現れた三方向のある道標の1つに「宗教通り」という何やら聞き慣れない文字を見つける。遠回りになってしまうのもかまわずに行ってみると、人影がほとんどなく、雨が降っていたのも相俟って粛然な雰囲気が一面に漂っていた。浄土真宗日蓮宗などの仏教各宗派の施設やキリスト教の教会施設が6、7軒並んでいる。入所者の信仰ごとに造られていたと思われるが、これだけの数規模が園内に設られていることは、宗教の存在が入所者たちの精神の大部分を占有していることを示している。外部の者が想像しようとしても到底及ばないことは承知していても、どのような気持ちで宗教と向き合われたのだろうかとやはり想像せずにはいられず、神妙な気持ちで歩き回っていたら、帽子を深く被った高齢の男性が自転車をゆっくり漕ぎながら僕の横を通り過ぎていった。多磨全生園に行ったのは、園の正門から一番端にある国立ハンセン病資料館で開催中の「絵ごころでつながるー多磨全生園絵画の100年」を観るためだった。通常の絵画展ならば、いうまでもなく作品としての絵画がメインに展示されているのだが、本展は写真や資料、そして文字によるキャプション等の存在が当の絵画作品をしのいでいるような印象をもたらしていた。今からおよそ100年前の1923年10月に、第一区府県立全生病院(現在の多磨全生園)の礼拝堂で開催された「第壱回絵画会」を起点に多磨全生園の絵画活動の草創期から現在までを辿った展示になっており、現在に近づくにつれて絵画作品の数は増えている。しかしながら「第壱回絵画会」の展示作品および描き手が誰かなのかは、一切不明で記録写真も残されていない。その20年後(1943年)に多磨全生園で約40名によって戦時下に結成された「絵の会」で生み出された絵画も失われてしまい、ほとんど所在不明となっている。そのような失われた歴史(絵画史)の宿命性が先述した僕の抱いた印象につながっている。「絵の会」の活動は戦後に本格化し、1946年には書画展の開催をスタートしている。その時の記念写真が展示されているのだが、白衣の医師と看護婦(多分)が前列の中央に座り、2人の左右と後列に入所者たちが並んでいる。その無意識に行われたであろう、診る(指導する)立場とそれを受ける立場の関係以上の序列関係の構図には、社会によってつくられた階層構造が浮上し、ある種の残酷さが垣間見える。看護婦の右隣に座り、整列者の中で唯一顔を伏せている女性らしき人物の姿が印象的である(あるテキストにはその会に参加したのは男性のみであったとされているが、その人物の少しの乱れもない身仕舞いや男性陣のなかで看護婦と寄り添う上品な感じから、個人的にはそうじゃないような気がする)。医師と看護婦の両側に座っている6人のうち4人は自作(多分)を抱えている。そのひとりである瀬羅佐司馬の人物像が友人の証言などによってキャプションで紹介されている。人付き合いが悪く、変人扱いされていたらしく、「絵の会」の中でも孤立し、指導もほとんど受けつけなかったそうである。孤独に身を置く中で、一心不乱に多くの作品を描いたが、全て散失し一枚も残されていない。園内におけるサークル活動は、強制隔離によって社会から疎外され、病気や障害の苦悩を生きるハンセン病患者同士の希望的つながりや何かをつくることの創造的愉楽を目的にした側面がクローズアップされもするが、瀬羅のような個に始まり個で終わるということのほうに入所者の様態や心情の生々しいリアリティが内在しているようにも思えるのである。実作品は失われたが、唯一写真に残された自画像の作品には瀬羅の強烈な個による表現を十二分に感じ取ることができる。瀬羅の自画像の写真がそうであるように、「絵の会」の初期に生み出された作品のいくつかはかろうじて写真に記録されているのだが、そのひとつである、宇津木豊作(村瀬哲朗)の《燃ゆるボイラー》の作品には1953年の文化祭の絵画展で特選をとっただけに、写真越しながらも目を惹くような絵画的存在を感じる。機械部品やレンガ等の具体的なパーツが、それぞれの本体の一部分というより画面全体を組織する一部分として、現実的世界を超越した絵画的秩序性を形作っている(モノクロ画面を抜きにしてもそのようなイメージであることには確信がある)。多磨全生園は現在、入所者の高齢化及び減少により、将来的には終焉を迎えることになりそうな状況にある。それに並行して絵画活動も終息に向かいつつある中で、本展が企画開催された意味はとても大きいと思う。実は多磨全生園に行ったのは2回目であり、5年くらい前に行ったときは様々なタイプの入所者の居住施設が見られたのだが、現在は比較的新しい集合住宅型の建物のみが残っている(がらんどうになった広々とした空き地には数羽のカラスがたむろしていた)。園における絵画活動の最後の段階を眼前にして、跡形もなく消え去ることへの抵抗や未来へ伝承していくことの信念というものが本展に込められている一方で、入所者が意志的につくり出したものは絵画作品そのものしかないという厳然たる事実があり、入所者は自身が生み出したものは「失われるもの/手放されるもの」としての宿命を自ら背負っていたようにも思えてならない。入所者は、入所者以外のあらゆる全ての者の「他者」的意識を収斂する存在であり、絶望的な「関係性」を生きてきたのではないだろうか(他者から眺められたり、励まされたり、解釈されたりする苛酷な客体/主体)。それでも、実作品にしろ写真の中の作品にしろ、入所者の意志によって生み出されてきた数々の作品や痕跡の一片に触れることの体験を噛み締めなければならない。人工内耳や再生医療の進化によって将来的に消滅の可能性がある「ろう者」の表現者として、作品や表現に対する意志(制作/記録/保存等の複合的意味として)とは何だろうかと、自分の内にある様々な価値観(世界への捉え方や距離感等)の一つひとつにあらためて向かわせてくれるような展示だったと思う。

『 枯れ葉 』: アキ・カウリスマキ

 アキ・カウリスマキ監督の最新作『枯れ葉』が興収1億円を突破し、日本上映で過去最大のヒット作となったとのニュースと、現在も多くの劇場でロングラン上映が続いている現象を目の当たりにしていると、我が耳を疑ったり、多少の戸惑いを隠しきれなかったりしてしまう(カウリスマキの映画がニュースになったこと自体もなんか変な感じがしたものだ)。個人的、あまりにも個人的なその微妙な感情には、学生時代から蓄積してきたカルトでマイナーな映画への密かな愛と、混迷をきわめ、殺伐とした現代社会の中の微かな希望が入り混じっているような気がする。二十代の時に『マッチ工場の少女』、『真夜中の虹』、『パラダイスの夕暮れ』を初めて観た時の衝撃はいまだに鮮明に思い出すことができる。固定ショットに映る登場人物の寡黙な表情と抑制された演技、ストーリーやディテールに対するあっけない省略(それでいてストーリーの時制操作は基本現在進行形で通し、シンプルな結末にたどり着く)等の映画手法に却って新鮮さを覚え、それから新作上映、特集があるたびに欠かさずに観てきた。しかし、それ以上に社会からはみ出され、都市の片隅で孤独に生きる労働者の登場人物たちに一定の距離を置くかのような、一見冷徹にも見える撮影スタイルから滲み出る、孤独者の無垢な精神に無条件に寄り添うカウリスマキの独特な眼差し(とぼけたユーモアも含めて)に共振し勇気づけられたことが一番大きかった。先述した二十代の時に見た3本の初期作品は労働者3部作としてカウリスマキフィルモグラフィーの中で括られているのだが、『枯れ葉』は30年以上ぶりにその系譜に連ね、日々の生活を精一杯生きる労働者たちへの讃歌と連帯感を再び繰り返している。『枯れ葉』の作品内に描かれる映画表現の一つひとつから映画全体のトーンに至るまで、初期の作品(から中期、最近まで)とほとんど同じ印象であることはマンネリの循環に陥っているどころか、むしろ進化への追求を否定する潔い態度、あるいはひとつの揺るぎない思想が大仰さや過剰さとは無縁な画面を貫通してしている。新自由主義グローバリズムの領域に突入した資本主義の進歩信仰と無限の欲望に逆らうことが道義的に正しいとでも言わんばかりのラディカルさを長年にわたって維持することが、カウリスマキにとっての使命感になっているように感じさえする。だが、不変のスタイルの中にも以前には見られなかったと思しきディテールが出現している。登場人物の横でロシアの軍事侵攻によるウクライナ情勢のニュースが流れる場面が一度に限らず何度も出てくる。フィクションの中において、現実的事象の反復性に拘泥するその意図には、表現形式や心情的効果とは無関係な、世界情勢と日常生活が時事ニュースを通して繋がっているアクチュアリティをそのままストレートに出すことの即物性以外には何も見当たらない。ウクライナの過酷な現実とヘルシンキの底辺労働者同士の恋愛が同時進行していく。これはある意味、映画の奇跡であり、表現の極北をさらりとカウリスマキが成し遂げているといってもいいような、(カウリスマキ自身の)臨界を超えた到達点を感じないわけにはいかなかったのである。つまり、肉付けしたり、捻ってみたりするなど、より映画的にする必然性が消滅し、現実に起きている出来事をそのままフィクション世界に置いたというそれだけの強度と純度を持ったシンプルな表象がむしろ感動的でさえある。ラジオから流れる音声情報が画面を横切るといった小道具的パターンは、古今東西の映画作品において昔から繰り返されてきたオーソドックスな映画手法であり、最近観た映画の中では、米大統領選のブッシュ氏(息子の方)勝利とリベラルへの失望がカーラジオから延々と流れる、ケリー・ライカートの『オールド・ジョイ』のワンシーンが強く印象に残っている。しかしながら、ろう者である僕にとっては『枯れ葉』にしても『オールド・ジョイ』にしても、音声を通してラジオの言葉(異言語としてではなく音声言語としての)を聞いているのではなく、字幕の文字によってそれらを受け止めている。ストーリーの中に生起する音声の持つ普遍性を想像しながら「字幕の文字」というエクリチュールとしての言語記号関係そのものだけを視覚的に追っていくといったろう者の特性をともないながらも、映画の「同時性」に全幅の信頼を持って、自身の感性(感情)や思考を委ねることができる映画体験はこれまでにも限られている(ろう者が映画を撮るならば、カウリスマキやライカートとは違った「同時性」の映画表現を模索しなければならないだろう)。音声に対する想像力は画面に映る視覚表象(事物の存在性やうごめき等)に何かを感じなければ始まらない。カラオケバーで唐突に出現する、姉妹からなる二人組の歌手、マウステテュトットの無表情に歌う姿はとても印象に残っている(やはり、レニングラードカウボーイズと同じ匂いや佇まいを感じる)。

/ライカートのまなざし/ 『ファースト・カウ』&『ショーイング・アップ』 ケリー・ライカート

 ケリー・ライカートの映画には、他者へのまなざしが丁重に注がれている印象をいつも受ける。現実の日常生活の中で、誰もが意識的にしろ無意識的にしろ様々な他者に視線を注いたり、一瞥したりするように、ライカートの映画の登場人物たちもストーリーに則った流れの中で自然なふるまいのひとつとして他者に視線を向けている。だが、そうした視線にはささやかなディテールでありながらも、ストーリーの流れに収斂することに抗うような、人間としての根源的なエッセンスがひっそりとだが確実に内在し、それに気づいた者だけがその繊細な視線とともに後に続くストーリーをなぞっていける、そのようにライカートから観る者は試されているのかもしれない。『ファースト・カウ』の序盤でクッキーとキング・ルーは森の中で互いに暗闇に包まれた不明瞭な存在として初対面している。月明りに照らされたわずかな輪郭を手掛かりにしながら、目の前の得体のしれない存在を認識しようとする。恐怖と不安の中であやふやな輪郭を確かめようとする視線が幸運にも衝突のない会話に接続し、徐々に他者に心を開いていく2人の関係の移りゆきが長めのシーンに収められている。わずかな光線によって照らされたおぼろげな輪郭が、もぞもぞ動くだけの物理的制限がかかった画面の表層をスクリーンのこちら側にいる観る者たちも凝視することによって、クッキー(あるいはキング・ルー)の視線を擬態的に経験することになる。見えるか見えないかのぎりぎりの状態における視線は一瞬でも揺ぎが生ずれば、破綻してしまう(見えなくなってしまう)ような性質を有している。そのような繊細な視線の交差はクッキーとキング・ルーの2人の関係性に全て置き換えることができる。キング・ルーが東洋系の人物であることより、裸体であることの窮地状態にだけ反応するクッキーの視線は、市場でバケツを持って歩く少女への純真無垢なまなざしやミルクを無断で頂かせることになる牛への優しいささやきに連結している。『ショーイング・アップ』で見せるリジーの他者へのまなざしは、クッキーのまなざしとどこか重なる部分を有しているが、もう少し複雑な性質のまなざしになっている。クッキーの周辺にいる人物たちとは違って、リジーの視線を受ける人物たちはアートカレッジを中心においた日常生活や家庭での生い立ちといったローカルな空間と長い時間の中でリジーと深く関わっている。リジーの居住兼アトリエの隣に住むジョーが空き地でブランコ作りをしている間、リジーは壁の辺りでしばらく眺めている。ジョーの自由奔放で自分勝手な行動に悩んでいることが後になって知らされていくのだが、そのような状況を事前に予感させるようなリジーの複雑なまなざしがそのシーンに表れている。バラバラになったリジーの家族の一人ひとりに対してもジョーに対するのと同じ類いのまなざしを向けている。そのような周辺にいる人物たちへのリジーのまなざしは、いざこざやうんざりな出来事、そして煩わしい人間関係の地平で漂流しているのだが、決して負の感情に全面降伏することなく(放棄することなく)、それぞれのつながりをかろうじて維持しようとする視線として存在している。リジーはどちらかというとネガティブな感情を抱え込んでいる印象が終始つきまとっているのだが、少なくとも諦念や投げやりに簡単に転じない彼女の強靭な意志のスタイルは、自分が制作している陶器人形への集中的なまなざしから形成されている。へんてこな人形の様々な姿はすべてがリジーの等身大の姿でもあり、人形の瞳からまなざしを投げ返されてもいる。他者へのまなざしは両義的であり、自己へのまなざしへと反転していく。リジーにまなざしを向けているのはもちろん人形だけではなく、日々の生活の中でリジーとかかわる様々な人たちであり、その中でも特にジョーからのまなざしは、同世代・同性の創造表現者同士、日常生活を半ば共有する隣人同士としての特別な関係性のうえで成り立っている。リジーがジョーのインスタレーションに心を揺さぶられる代わりに、ジョーもリジーの人形に素直なまなざしを注いでいる(リジーの父までが忘我するように人形に魅入っているのだが、そのまなざしや表情はリジーやジョーのそれと同じくらいに素晴らしい)。だからと言って、クッキーやリジーが若い身でありながらも優しい心や強い意志を持った尊い存在としての人物のみになっているわけではない。クッキーはキング・ルーと牛のミルクを盗む共犯に勤しんでいるし、リジーは飼い猫に傷付けられた瀕死状態の鳩を窓の外に捨てて「別のところで死んでくれ」みたいなことを呟く。クッキーやリジー、あるいはライカートの他の映画に登場する人物たちは、世間が求める道徳的正しさとは無縁に自分の生き方を精いっぱい通しているだけのように見える。そのような自分の生き方と違う生き方を持つ他者たちにまなざしを向ける。つまり自分の生き方をそのまま通しはするが、他者たちと無関係に生きることもできないというようなアンビバレントな感覚がライカート映画における他者へのまなざしの核心になっているように私は思う。トランプ氏が出現した現代のアメリカ社会(イコール世界)の中で、そのような他者に密やかに開かれるしなやかな感性や繊細な感覚が少数になりつつあることに、ライカートは危機感を抱きながら映画を撮り続けているのかもしれない。

《 石川真生 私に何ができるか 》:東京オペラシティアートギャラリー

 東京オペラシティアートギャラリーの《石川真生  私に何ができるか》を観る。沖縄出身の石川真生が複雑な歴史や文化を抱え込んだ現代の沖縄を精力的に撮り続けた一連の活動がコンパクトに紹介されている。本展のメインは石川が2014年から取り組んでいる〈大琉球写真絵巻〉である為か、過去の写真はテーマごとに、多くはない何点かがセレクトされている感じだったが、石川の写真は初見である僕にとってはどれも興味深い作品鑑賞となった。最初に展示されている〈赤花 アカバナー 沖縄の女〉の写真作品は、一瞬だがナン・ゴールデンやラリー・クラークを彷彿とさせる若者たちのアンニュイかつ享楽的な交友関係の様相が写っているのだが(そのような若者のモチーフは数多の写真家によって消尽されたイメージにもなっている)、2人のアメリカ人の写真家が撮った光景と異なっている点は、密室空間の親密的な融合関係のなかに、アメリカ兵の男性と彼らを迎える沖縄の女性という明確な境界線が頑として残されていることである(ハーフも主要な対象として写っているが)。性別の違い、体格の桁外れの違い、人種の違い、根無し草と地元民の違いなどが混沌状態のなかで一際目に引く写真表象として具現化している。あからさまな非対称性が写っているが、別々の場所で虐げられてきた歴史を共有し、苦難の連続である現実のつかの間を享楽している黒人と沖縄の女性が一緒に写っているという、非対称の構図を超えた連帯感(同時にはかなさも写っている)にカメラのレンズは焦点を定めている。石川の写真家としての活動を開始した70年代後半ー80年代前半の写真には、夜のバー、沖縄芝居、港町の労働者などといった、沖縄に生きる大衆の日常生活をつぶさに見つめた視線が感じられるが、80年代後半以降の写真にはそのような主調の感じが次第に薄れていくかわりに、政治的な表層の断片が画面の所々に見せるようになっていく印象を抱かせる。このような印象はあくまで、本展のコンセプトに従った展示の流れからくるものでしかないが、大まかではあるものの、年代順的に展示されているのを見ると、地政学的に困難な状況にさらされてきた沖縄の歩みにピタッと並走する石川の視線の移行による必然的帰結の表れとして見ることができるのかもしれない。これは何も(芸術表現として)否定的な意味に結びつくはずもなく、沖縄人としての宿命をプライベートからポリティカルまで全方位的に受け止め、リアルで確かな視線を石川が長い写真家人生で醸成したことを意味している。〈大琉球写真絵巻〉シリーズはこれまでのドキュメンタリー調から一変し、フィクションとしての沖縄を前面に出している。動きのない表象を前提として様々な人物が写真カメラの前で演じられている。ドキュメンタリー調のままになっている画面も所々に混じっているが、そもそもカメラの前で対象となった人物は意識と無意識、大と小にかかわらず演技の誘惑から逃れることの不可抗力が生じてしまう(特にカメラのレンズに対象人物の目線が合った瞬間)。石川はその事実を大いに利用して、静止的なフィクション=演じることの導入によって写真表象としての沖縄の可能性を試みている。だが、絵巻の形式は静止の演技に時間を与えることになり、沖縄の民衆がもつ不屈の精神、あるいは精神の揺らぎが沖縄の歴史ととともに時間的蓄積として顕在化してくる。演じることは理不尽に抗うことでもあり、理不尽と付き合うことでもある(そのひとつが沖縄の真実を報道しない大手メディアであることは言を俟たない)。つまりフィクションがリアリティをもつことなのである。石川の写真はドキュメンタリーでもフィクションでもジャーナリズムでもあり、「沖縄」そのものとそこに人がいることへの意識(クールではなくホットな)を貫いているのが、石川の写真家としてのスタイルであり、沖縄人としての写真家人生なのだろうと思う。(石川の師匠である東松照明のインタビュー映像があって「おおっ!」と思ったが、字幕なしで泣く泣く断念)

《 キュビスム展 美の革命 》:国立西洋美術館

 満を持して、国立西洋美術館の「キュビスム展 美の革命」を観に行く。ここでも至極当然のように、セザンヌから始まっている。今年の夏に開催されたアーティゾン美術館の「 ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」では、《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06年頃)の1点のみであったが、「キュビスム展」では、《4人の水浴の女たち》(1877-1878年)、《ポントワーズの橋と堰》(1881年)、《ラム酒の瓶のある静物》(1890年頃)の3点が並列されている。外風景を描いた前2点は規則的な斜めのタッチが画面の大半を支配しているが、ラム酒静物画では、斜めのタッチは消滅し、モチーフの物体の表層的出現に忠実に写実するかのように画面に一つひとつ塗り込められている(瓶の先端や背景の壁は塗り残されている)。だが、写実的なタッチに反してテーブルの上に置かれた果物、瓶、布、そしてテーブル自体までが様々な角度から捉えられている。外風景のモチーフは真正面からの固定視点(そのように見えるだけで、実際はそうじゃないかもしれない)のみで、リズミカルなタッチの幾何学的構成に集中しているが、ラム酒静物画は対象物とそれを見る視線の物理的限界を超えた多角的視点によって平面的秩序からの逸脱を目指している。セザンヌの多角的視点はイリュージョンとは無関係であり、対象との関係に生起する新しい感覚とともに日常感覚の中に潜む不自然さを不意に顕在化させている。このようなセザンヌの絵画の理論と実践から、ブラックとピカソの2人によってキュビスムという絵画表現が生み出されたことは周知のとおりである。だが、本展で面白いのは、先述したセザンヌの絵画3点の向かい側にアフリカやオセアニアの儀式用オブジェが対峙しており、その相対的な関係が後続するブラックとピカソのそれぞれの作品に見事なまでに対照的に連結していることである。ピカソは本展出品の《女性の胸像》(1907年)や《アヴィニョンの娘たち》(1907年)に明らかであるように、キュビスムの発明の最初期からプリミティヴィスムを導入している。シンプルな形態や大胆なデフォルメの表現方法が西洋の伝統的な規範を打ち破るのにうってつけだったことと同時に、西洋側から見たオリエンタリズムとしての文化的観点を作品の内部に抱えてしまうことにもなる。ブラックはプリミティヴィスムを取り入れたピカソの過激さへの応答として《大きな裸婦》(1907年》を描いている。しかし、その間にブラックはセザンヌが制作した地として知られるレスタックに4回滞在している(1906年-1910年)。その時期に描いた作品が4点展示されているのを目の当たりにして、僕は興奮を隠さずにいられなかった。4点のうち、3点はレスタックの風景を描いた作品であるが、家や橋などの建築物と土壌の地面は、赤と黄土色、あるいはその混合色のみに限られた範囲で統一されている一方で、樹木や山、あるいは道や空までが、ほぼ緑と青と黒の3色のみで使い分けたり、混ぜたりしたタッチが重ねられている。暖色系と寒色系を明確に分たれるようにして、セザンヌ的な色彩とタッチで画面を構築的に組織している。単純化した幾何学形態までセザンヌの真似をしているが、静物画の《楽器》(1908年・先述した《ラム酒の瓶のある静物》の静物画的多視点が移植されていることがわかる)を含めてレスタックで描かれた4点の作品には、キュビスムにつながる新しい表現がすでに萌芽されている。むしろ、セザンヌ以上に大胆に形態を簡素化し、幾何学的図式や多角的視点を先鋭化(還元化)している。つまり、「自然を円筒形、球形、円錐形によって扱いなさい」というあまりにも有名なセザンヌの言葉をブラックはセザンヌよりも忠実に実践したのである。このような「セザンヌキュビスム」は後になってピカソにも共有されていくことになる(後追い?)。この時期にブラックとピカソは交流を深めていき、「セザンヌキュビスム」は「分析的キュビスム」に進化し、逆にピカソのプリミティヴィスムはトーンダウンしている。ピンクとグレーによって鉱物の結晶の塊のような魅惑的な様相を描いた《裸婦》(1909年)に、プリミティヴィスムの残像を見つけることは不可能に等しい。1912年頃から、抽象性と平面性への傾向を強めることになる「総合的キュビスム」の段階を迎え、ブラックとピカソの作品は次第に酷似するようになり、2人のキュビスム表現にはほとんど区別をつけることはできなくなる。これはキュビスムの悲劇というよりかは、方法論的な絵画の宿命であり、2人はキュビスムのこれ以上ない限界点まで疾走してきたことの結末でもあると言えるのではないだろうか。ブラックとピカソが創始したキュビスムは、短期間のうちに多くの追随者や支持者(キュビスト)を生み出してきた。レジェ、ドローネー、クプカ、グリス、デュシャン(本展では《チェスをする人たち》(1911年)が出品されているが、デュシャンキュビスムといえば、《階段を降りる裸体No.2》(1912年)等の〈運動する機械〉系の作品群が真っ先に挙げられるだろう)のように、キュビスムの本質への接近を作品の中で実践してきた画家も何人かはいたけれど、ブラックとピカソ以後のキュビスム作品の大半は2人が発明したキュビスム的方法論と形式パターンを借りて、世界中に瞬く間に拡がったバリエーション的展開と大衆化現象に流されてきた側面があったという印象は否めない(諸々の画家や芸術家の多くはキュビスムを一過性の表現として扱ったのだが、創始者の2人も例外ではなかったという意味ではキュビスムそのものに備わっている性質のひとつなのかもしれない)。やはりキュビスムは、ブラックとピカソに始まり、ブラックとピカソで終わった芸術運動であったという認識が、本展を観終わったあとに徐々に沸き起こるのであった。

『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』 シャンタル・アケルマン

 ブリュッセルのアパートの部屋で、美貌を控えめに引き立てる上品さを感じさせる灰色のセーターをその都度に羽織ったり脱いたりする未亡人のジャンヌの姿に、『去年マリエンバートで』でココ・シャネルがデザインした衣装をまとった上流階級の貴婦人のきらびやかな面影はあとかたもなく拭い去られている。だが、デルフィーヌ・セイリグが演じる、タイプの異なる両方の女性人物には、程度の差こそあれ謎めいた雰囲気を醸し出す不透明なたたずまいと、男性にとって都合よく美化あるいは物化される隣人としての女性像が投影されていることの共通性を嗅ぎ取ることはできるかもしれない。アラン・レネはそのような謎めいた女性像の描写への意欲を妄想的に喚起させたが、シャンタル・アケルマンは、抑圧された女性の心情をサスペンスへと導くことのやむに止まれぬ使命感(なかば義務感であるかもしれない)に促されたのである。ジャンヌのミステリアスは観念の世界からではなく現実の世界、そして(母の存在を通した)女性の視線から生まれている。日常空間におかれた主婦の一挙手一投足を定点観測のカメラで持続的に描写することは男性の監督も実践しようと思えばできるかもしれないが、抑圧された女性の潜在的フラストレーション(気付かれることのない精神の暗部)が導き出される人物造形(人物描写)にどこまで耐久しえるかは、無機質ともいえる日常的な動作、ディテール、空間、時間が堆積した3日間あるいは200分の画面を眼前にすればとてつもなく覚束ないことであり、ある種の徒労感と諦念を悟らざるをえなくなるだろう。この映画はアパートのいくつかの室内と行動範囲が限られた買い物先など(3日目は電車に乗って行動範囲が多少拡張されるが)をひたすら往復し、日常的ルーティンを反復する3日間の平凡な日常生活がアケルマンの冷徹とも親密ともいえるようなアンビバレントな凝視によって淡々と描写されている。1日目の序盤に早くも売春のシーンが挿入され、観客にこの映画における最大の秘密があっけなく晒されることになる。最初はジャンヌにとって売春は労働のひとつであるにすぎないかのように描写されているが、やがて精神を狂わせる契機になることは衝撃的なラストを待たずにしても、すでに執拗に反復される日常の中の些細なふるまいから生じる数多の襞に挟まれた歪みの萌芽によって漸次的に明かされてきている。定点観測のカメラも少しずつ位置をずらしながら(日常空間を誇張しない照明やショットつなぎは終始保持されている)、ジャンヌの感情に潜む歪みと乱れの表象の生産を継続している。そのようなカタルシスへのベクトルに流れるリズムには身の毛がよだつ恐怖感がともなっている。紙袋の中に残された、たった1個のジャガイモの存在がこれまでの日常空間を大きく変化させてしまうことのスリリングさはこれまでに味わったことのない類まれな映画体験であった(ジャガイモの皮を剥くシーンは瞬きすることさえもが許されない最高潮の緊張感を孕んでいた)。3人目の客で初めて性行為中のシーンが現れるのだが、仰向けになったジャンヌに覆いかぶさるように重なった客は性交中に発生するはずの身体動作を少しも見せようとしない。静止状態の不自然さがかえって客から懸命に逃れようともがき続けるジャンヌの女性としての弱者的存在あるいは被抑圧的存在のリアリティを際立たせている(女性と男性の、自己と他者のあいだに横たわるオルガスムの不一致や曖昧さの極端な形式化)。映画の中で異化する静止的表象には客の個別性や身体性が映っているのではなく、女性が従属する社会システムの権力性と暴力性が映っているのだ。微塵も動いていない客の不気味な上半身(裸体ではなくランニングシャツの下着姿の滑稽さ)はジャンヌの息子の沈黙する身体とオーバーラップし、惨劇後のジャンヌのいる部屋に息子の「不在」が大きくのしかかってくるのである。

『バービー』:グレタ・ガーウィグ

 ピンクと人工光に彩られたスタジオセットで繰り広げられるバービーランドと自然光に晒され、雑然としたビーチや街中で人間たちがうろつくリアルワールドの対極にある2つの世界のギャップが、『バービー』においてもっとも脳裏に焼きつけられた映画体験であったように思う。鮮明で過剰な視覚的情報にはとうの昔から十分慣れているはずなのに、ギャップの強烈さを映画的強度として受容することになったのは、バービーのミニチュア世界が人間サイズに拡大されたことの異様な世界観からでも、バービーとケンがバービーランドと人間世界のリアルワールドを往復した先の価値観の変化による切実さ(深刻さも含めて)からでもなく、全ては僕自身の色彩センスから退けられているはずの「ピンク」色を中心としたカラフルな色彩そのもの(あるいはファンタジーな造形美)に端を発する物理的(表層的)現象に収斂している。視覚を通したマジカルな感覚が僕の知覚を支配していたのだが、『バービー』のピンクは言うまでもなく可愛さや煌めきのキラキラな世界を形成するイメージの要素を越えて、人間存在の(ほどよいバランス的な)平等を理想的に謳った象徴性を内包する「ピンク」として、長きにわたって世界中に普及してきた。一方で、理想的な平等性はバービーランドあるいは実在するドールたちにそれぞれの設定と役割を植え付けることにもなる。マーゴット・ロビーが演じるバービーが何気なく発する「死ぬってどういうことなの?」の言葉がバービーランドを一瞬フリーズにしてしまうのは、バービーの世界が隅々まで完璧さに覆われた世界になっているからなのはご存知の通りである。人間世界にいるバービーの持ち主であるサーシャの母・グロリアが男性たちに都合よく利用される女性について熱弁するシーンは映画の中でもっともメッセージ性のあるシーンになっているが、人間世界から男らしさの価値観を持って帰ったケンに対するバービーの複雑な感情と復権を取り戻したバービーランドの歪みの残余を見ていると、フェミニズムの範疇に収まりきれるような映画ではないことははっきりと言えよう。それでも女性は何かのメッセージを発信し続けなければならないことの切実さと正当性があり、現在の世界に蔓延する絶望さと過酷さにつながっている。バービーの生みの親である老婦人との出逢いからエンディングのある行動への一連には、やや予定調和的な締めくくりに見えもなくはないが、「人間」としてのバービーと「ドール」としてのバービーのボーダーラインを横たわる倫理的な曖昧さが余韻となって残されており、それへのリプライは保留にせざるをえないような現代的な混迷さがリアルにも身に染みるのである。