『グッドナイト&グッドライク』

『グッドナイト&グッドライク』を観る。『オーシャンズ』シリーズ主演のジョージ・クルーニーは今まで僕にとっては、セレブ界のお気楽プレイボーイというイメージしか持てないでいたのだが、彼が自宅を抵当に入れて製作費を捻出し、この映画を撮った監督であるという事実は、自分の盲目さと偏狭さを大いに恥じることになった。無意識とはいえど、先入観に頼ることはとてもいかんじゃ…。猛省しています!ハイ。白黒のハイライトがまぶしい、あまりにも美しい映画だ。1950年代のアメリカでは、米ソ冷戦下のもと、マッカーシー上院議員率いる委員会による国内の共産主義者排外運動が席巻する。いわゆる〈赤狩り〉である。この〈赤狩り〉運動に真っ向から挑戦した伝説的ニュースキャスターのエド・マローを中心としたCBSの報道番組チームの勇敢ある闘いを描いたのがこの映画である。そこに描かれるのは、保守主義者と共産主義者の対立ではなく、そのどちらでもない、自分の信念を曲げることなく、ただ言論と思想の自由の身を死守しようとした者たちである。その姿勢、生き方がたまらなくカッコいいのだ。とはいえ、凡庸な日常生活の中でこの映画を観るうちは、誰もが「カッコいい」という言葉をとっさに浮かべたり、口に出したりするだろう。だが、〈赤狩り〉現象のように今後、体制による言論弾圧が幅を利かせる時代が到来し、エド・マローのような人物を目の当たりにした時、この「カッコいい」という言葉を口に出し、行動をともにすることは次元が違ってくる。そのときになってみないと何ともいえないし、わからないが、少なくとも現在の僕は無理だと言っておくことにする。でも、この映画を観てとっさに「カッコいい」と思ったその瞬間から、凡庸な自分を発展させることはできるかもしれない。極限状態に囲まれた時に強い自分でいられるためには、自分の感覚から真実に向かおうとする姿勢、自分なりの知識と勇気を持ち続けることなんだろうなという気はする。