『不良少女モニカ』

北欧が生んだ世界的巨匠、イングマール・べルイマン監督の1952年作品。89歳で亡くなったベイルマンは遺作にして最大の野心作である「サラバンド」を85歳で撮ったのだが、驚異的な頭脳、肉体をもった監督としか言いようが無い(70歳を過ぎてから1年に1作のペースで20本以上撮ったマノエル・ド・オリヴェイラには及ばないけれど)。「不良少女モニカ」では、映画史に残る驚くべきショットがある。初婚のモニカが、かつて付き合っていた男と寝る前にカメラに向かって数秒間見つめる場面だ。その時、観客は一瞬頭の中が混乱し、現実に戻される。一般的にカメラ目線は映画をつくるうえでタブーとされているが、このカメラ目線で映画の中の虚構世界と観客のいる現実世界を挟むスクリーンの保っていた均衡が一気に崩壊する。その時僕は、最初「ん?」とあっけにとられ、その後自分にとって他人事ではなくなり、急に不安な気分に覆われてしまう。自分の(忌まわしい)過去が不意によみがえってしまうような恐ろしいショットである。同時にずっと頭から離れられないような強度をもった美しさがある。 一途に愛し、社会的立場を確立しようとする恋人そして夫となるハリーと本能のままに自由奔放に生きるモニカの対照的な2人の姿は、大人たちに反抗するほかすべがない境遇が重なり、痛々しくて悲惨的ですらある。甘ったるい恋の世界から180度ひっくり返り、空腹にたえられなくなり別荘から肉塊を盗んで野生児のごとく疾走する姿を見よ!「町に戻りたくない」とわめく姿を見よ!セクハラされそのまま職場を飛び出す姿を見よ!素っ裸になり男を誘うエロティックな姿を見よ!そこには人間は所詮、猿から進化した動物にすぎないと言わずにはいられないような人間の本性むき出しの生々しさが現れる。そのようなモニカに対して善し悪しの判断を下すのは観客の勝手だが、我々はあまりにも近代人の範疇におさまりすぎたのだ。それは、人間の宿命でもあるのだが、モニカのような人物に魅了され、振り回されてしまうのは、人間本来の姿にすこしでも近づいてみたい人間の性からなのだろう。若い男女の恋物語であると同時に、近代文明と原生的自然の狭間に生きる人間の物語でもあるのだが、スマホのカメラを前にして突発的に行動する現代の人間はむしろモニカのような人間像に戻りつつあるのだ。