「デスペア」

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、37歳で亡くなったにもかかわらず、映画作品、テレビ作品は、ゆうに40本を越える。だが、どの作品も濃密な出来上りになっており、鑑賞中の僕は、強烈な刺激をシャワーのごとく浴びられている。ファスビンダーの脳のなかには、ハッピーエンドという概念はまるで持ち合わせていないかのように、悲劇的にフイルムは閉じるばかりだ(時には喜劇的に)。作品が撮られた当時のドイツの社会状況あるいは政治状況については、よくはわからないのだが、ドイツ国民のすべてが、絶望的に閉塞感のさなかで無気力にふるまうしかすべがなかった状況が、刻々とファスビンダー流の描写によってフイルムに刻印される作業が、現在に生きる僕にも生々しさを伴いながら感じられるのだった。矛盾を全面的に受け入れ、生き急ぐように短期多作の道を選んだファスビンダーの生き方は、絶対まねできないけど、憧れをもってしまう。「デスペア」の主人公へルマン・ヘルマンは、ロシアからドイツへ亡命した実業家なのだが、ファスビンダーはドイツを新しい故郷としたのが、誤りの一歩であったとでも言わんばかり、ドイツを狂気の国に見立てて、主人公を狂気の果てに落とし入れ、警察が囲むなかで、自分は映画に出演している最中なのだと真顔で語らせるのだ。そう、映画も現実も同じ虚構の世界であり、世界の全てが、無関心に包まれたやるせないあやふやな場所である。ドイツも日本も現在も。