2021-01-01から1年間の記事一覧

クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]:東京都現代美術館

東京都現代美術館で「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展を観る。僕は耳が聞こえないのだが、日常生活の中で常に音の存在を目の当たりにしている。聴覚的にはサイレントな状態ではあるが、視覚的にはノイジーな状態としてある。…

Joy ー PAINTINGS 2011-2021 髙橋淑人 退職記念展

先日、僕の母校である東京造形大の附属美術館に足を運んだのは、学生時代の4年間お世話になった髙橋淑人先生が2年前に退職し、コロナ禍でしばらく延期されていた退職記念展が開催していたからだ。様々な用事が重なり最終日になってやっと観に行けたのだが、…

映画の「内容」と「形式」について

前回のブログでも書いたことだが、最近は数十本の映画を短期間に集中して観ている。最近の映像媒体は始めから映画として創作するというよりも、動画として創作するという感覚のほうにウエイトがかかっているので、一概に「映画」と言い切れなくなっているよ…

映画表象としての手話とかなんとか

現在、訳あってろう者に関連する映画を立て続けに観ている。(「ろう映画」というカテゴリーを当てはめることはできるが、その該当範囲の広大さと定義のあいまいさがあり、一筋縄ではいかないところがある)。ろう者や難聴者が監督したのもあれば、聴者が監…

日常化する緊急事態宣言の現下における個人的な雑感あれこれ

オリパラ期間中に新型コロナウィルスの感染者数が急拡大した現下、休日や余暇時に映画館や美術館に全然寄れなくなってしまった。最近まではマスクをして観賞するだけなら大丈夫なんじゃないかという自己判断のうえ、映画や美術などを観に行くことは日常生活…

『夢の男』 KAAT 神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場企画製作の短編映像作品『夢の男』をYouTubeで見る。全4幕構成になっているのだが、4幕すべて同じストーリーが繰り返されている。1幕は聴者の俳優(大石将弘)とろう者の俳優(江副悟史)が2人並んで立っている。聴者は音声、ろう者は手話…

鈴木春信 『梅折る美人』

たまたま目にした美術作品にその場で一目惚れするというような経験は過去に遡ってもあまりないような出来事だと思うのだが、僕の場合は一目惚れというよりは、しばらく経ってからその美術作品のところに立ち戻って(あるいは記憶を辿って)、漸次的に惚れ込…

『ビーチ・バム − まじめに不真面目 −』 ハーモニー・コリン

ハーモニー・コリンの最新作『ビーチ・バム -まじめに不真面目-』を観る。『スプリング・ブレイカーズ』以来の7年ぶりの長編映画だが、パンデミックの最中に引っ提げてきたタイミングは、偶然でもなく必然でもなく、ただいつものように上映されることにい…

『 HHH:侯孝賢 』(1997)オリヴィエ・アサイヤス

『恋恋風塵』のワンシーンが映った時、思わず懐かしい感情が込み上げてきた。台湾の田舎に残る昔ながらの日本的風景というのではなく、古今東西の映画を観まくる若かりし頃の映画生活を始めるきっかけになったのが『恋恋風塵』だったという、昔の映画的記憶…

『新学期操行ゼロ』 ジャン・ヴィゴ

フランソワ・トリフォーのデビュー作『大人はわかってくれない』が世に出るきっかけとなった映画とも言われているのが、ジャン・ヴィゴの『新学期操行ゼロ』(1933年)である。無政府主義の活動家の父を持つジャン・ヴィゴはドキュメンタリー2本と劇映画2本…

『シチリアーノ 裏切りの美学』 マルコ・ベロッキオ

シチリアマフィア界の大物幹部やファミリーが勢ぞろいする夜の煌びやかなパーティ。表向きは穏やかな雰囲気を醸し出しているが、パーティを名目にしてマフィア組織の二大勢力の仲裁を試みるパレルモ派大物ブシェッタは会場の随所に不穏な空気を感じ取る。建…

《 千葉正也 個展 》東京オペラシティアートギャラリー

東京オペラシティアートギャラリーで開催中の《千葉正也個展》を観る。会場の展示室を全てつなぐ空中通路は千葉が飼っている亀を放し飼いするために木材で組み立てられている(どこかに居たかもしれないが、僕は不運にも亀に出会うことはなかった)。素材丸…