Joy ー PAINTINGS 2011-2021 髙橋淑人 退職記念展

 先日、僕の母校である東京造形大の附属美術館に足を運んだのは、学生時代の4年間お世話になった髙橋淑人先生が2年前に退職し、コロナ禍でしばらく延期されていた退職記念展が開催していたからだ。様々な用事が重なり最終日になってやっと観に行けたのだが、当人の髙橋先生にお会いすることができたことは思いがけない幸運だった。髙橋先生に最後に会ったのは確か、大学卒業後2回目か3回目の個展の時に、髙橋先生とともに在学中お世話になった母袋俊也先生とお二人で来廊された時だったはずなので、20年以上ぶりに会った計算になる。にもかかわらず、当時とそんなに変わっていないような印象がして、すごく久しぶりに会ったという気は不思議なことにあまりなかった。ただ、学生の時と今の僕は多少生き方を変えたところがあるので、今回髙橋先生と談話した時、全てスマホで筆談したことに先生は多少戸惑っていたかもしれない。それでも色々話せたことは、大変有意義な時間だった。僕の気のせいかもしれないが、現在絵を描いていないことを話すと、髙橋先生の顔にちらっと寂しい表情が浮かんできたような気がして、その際、自分の不甲斐なさを感じつつも、学生時代の時と変わらない先生の優しさに嬉しい感情がほんのり込み上げてくるのであった。

 髙橋先生の作品はキャンバスの画面全体を均一に絵具を乗せたり、飛ばしたりしている。中心がない均一な画面の表層に近づくと、厚みをもった絵具の塊がそのまま均されるように乗せられていて、いくつかの層を作り上げているように見える。側面から見るとそのような作りになっていることが半ば確認できる。さらに表層面に注視してみると、遠くから観るときの単一色のイメージと違って、様々な色彩をもったマチエールの表情が豊かに戯れ合っている。現代の絵画では、絵具が持つ物質性への意識が再び上がっている風潮があり、絵具のマチエールそのものを初めから表現したり、具象と抽象とにかかわらず二次元的イメージを先に描いた後に絵具のマチエールを付け足すといったような絵画作品が見られる。だが、髙橋先生の作品の表層にはそういった二次元から三次元へのベクトルが逆作用しているようなふしがある。先に乗せたと思われる絵具のマチエール層の上に、薄く溶いた絵具をスパッタリングしたり、絵筆でストロークしたりした形跡が画面全体のいたるところに見られる。物質とイメージの重なりが反復されている。髙橋先生の作品は絵画の物質性と向き合いながら絵画表象を生み出しているが、物質性に還元していくというよりは、キャンバスの平面空間に広がる秩序立った精神的イメージの彼方に向かっているのではないだろうか。精神と物質が相互作用する絵画空間は静謐でありながら生命のエネルギーを宿して、観るものを現実世界を超えたところへ連れていくような強度を有している。その絵画空間には、髙橋先生の言う「Joy=喜び」が現れているのである。

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