絵画についての覚書3

絵を描いているときに精神が分裂している状態になっているのではないかと感じることがある。僕自身の心身から発生しているのではなく、絵画によって精神が分裂されているという感覚。あるいは、僕自身のなかに潜在している精神の分裂が絵を描くことによって顕在化する。映像イメージの段階でキャンバスに表象されるイメージの輪郭がほぼ決まってしまい、キャンバスの表面では決定されたひとつのイメージをなぞるように次から次へと絵具をのせていく。映像イメージを創造し、絵画イメージを非創造的に扱うという、イメージにたいする行為の理不尽な分裂をまのあたりにして僕の精神は躊躇と決断のあいだで揺れ動いている。映像イメージをレイヤーで動かすとき、まさにイメージを扱うという感覚(非実体的)そのものであるが、イメージを投射された絵画では、絵具のもつ可塑性、固形性、そして匂いといった物質性に接する。また、枠と面というキャンバスの平面サイズ的な物質性を直接に扱っている。表象イメージは社会性、構造性、デザイン、雰囲気などを包括する概念的なものであり、全体を創造する支配者の行為によって形成されていく。現に表象イメージはキャンバスの表面を支配し、真っ先に観る者を捕えるのである。一方、キャンバスの枠と面によって切り取られた表面に没頭する描写作業は、絵具によってマチエールを積み重ねていくように物質を黙々と扱う被支配者(労働者)としての行為である。支配者と被支配者の関係性は、絵画におけるイメージと物質の関係性に置きかえることもできる。この思考プロセスにたいしては、ほとんど無意識であるのだが、図案を絵具でひとつひとつなぞることで僕自身の精神状態が少しずつ意識化されていく。支配する者は常に外部に向けて拡張しようとする自由への欲望、実権があり、イメージを再生産し続けていく。一方、支配される者はひとつの空間に固定され(物質に縛られ)、不自由のまま単純生産をくりかえす。しかし、この限界にたいする意識が内部でうごめき始めたとき、限界を乗り越える未知の力(イメージを超えたもの、あるいは不可視なもの)が存在していることに気付く。新たなる自由(新しいイメージ)を手にいれることはできるのだろうか。