多磨全生園の正門をくぐり、目的地へ最短ルートで行こうとした先に現れた三方向のある道標の1つに「宗教通り」という何やら聞き慣れない文字を見つける。遠回りになってしまうのもかまわずに行ってみると、人影がほとんどなく、雨が降っていたのも相俟って…
アキ・カウリスマキ監督の最新作『枯れ葉』が興収1億円を突破し、日本上映で過去最大のヒット作となったとのニュースと、現在も多くの劇場でロングラン上映が続いている現象を目の当たりにしていると、我が耳を疑ったり、多少の戸惑いを隠しきれなかったり…
ケリー・ライカートの映画には、他者へのまなざしが丁重に注がれている印象をいつも受ける。現実の日常生活の中で、誰もが意識的にしろ無意識的にしろ様々な他者に視線を注いたり、一瞥したりするように、ライカートの映画の登場人物たちもストーリーに則っ…
東京オペラシティアートギャラリーの《石川真生 私に何ができるか》を観る。沖縄出身の石川真生が複雑な歴史や文化を抱え込んだ現代の沖縄を精力的に撮り続けた一連の活動がコンパクトに紹介されている。本展のメインは石川が2014年から取り組んでいる〈大琉…
満を持して、国立西洋美術館の「キュビスム展 美の革命」を観に行く。ここでも至極当然のように、セザンヌから始まっている。今年の夏に開催されたアーティゾン美術館の「 ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」では、《サント=ヴィクトワール山とシャトー・…
ブリュッセルのアパートの部屋で、美貌を控えめに引き立てる上品さを感じさせる灰色のセーターをその都度に羽織ったり脱いたりする未亡人のジャンヌの姿に、『去年マリエンバートで』でココ・シャネルがデザインした衣装をまとった上流階級の貴婦人のきらび…
ピンクと人工光に彩られたスタジオセットで繰り広げられるバービーランドと自然光に晒され、雑然としたビーチや街中で人間たちがうろつくリアルワールドの対極にある2つの世界のギャップが、『バービー』においてもっとも脳裏に焼きつけられた映画体験であ…
東京都写真美術館の地下1階で《風景論以後》の展覧会が催されているのだが、展覧会としての「ハレ」というよりかは、何の変哲もない日常的な風景としての「ケ」がひっそりと展示されている印象があり、そういう意味では地下の空間がふさわしいように感じられ…
遅まきながら、やっと初めてアーティゾン美術館に入ることができた(前身のブリヂストン美術館の時は2、3回くらい観に行ったと思う)。絵を描く者にとって魅惑的であるはずの展覧会タイトル、《ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開》の文字を一度目にした以上…
大規模な回顧展としては約20年ぶりの「マティス展」の鑑賞を目的に、東京都美術館へ勇気をもって行ったのだが(混雑が苦手なので)、東京都美術館に入館するのも約20年ぶりどころが、それ以上ぶりのような気がする。当時何の展覧会を観たんだっけ?と必死に…
保険会社の上司と部下とおぼしき男女の2人が(架空の)お客さまを帰らしたあと、テーブルに着席する。テーブル上で繰り広げられる、たわいない会話劇は音声による対話(という形)で行われるのだが、演じている2人はろう者である。《 聴者を演じるということ…
東京オペラシティアートギャラリーにて「今井俊介:スカートと風景」の展示を観る。会場内に設置されているディスプレイのインタビュー映像で、作家本人は絵画とデザインの境界の曖昧さについて語っている。ある時にふと何気なく目にした知人の揺れるスカー…
「私は平安を与えよう 私が与える平安は世の平安とは異なるが、心を冷静であれ」 移動中の列車内でサラが座席に座っているショットに上記の神父の言葉の前半部分が被さり、その言葉の後半部分と同期する神父の説教に傾聴するロバートの父がいる教会の厳かな…
KAAT 神奈川芸術劇場にて『夢の男』を観賞する。『夢の男』は《視覚言語がつくる演劇のことば》プロジェクトの作品として制作されている。藤原佳奈が執筆したテキストをもとにして、過去2年間(2021年/2022年)に同タイトルによるオンラインでの発表が行わ…
1970年代アメリカのとある一都市で繰り広げられる恋模様を描いた『リコリス・ピザ』には、エンターテインメントの枠に収まりきらない映画の醍醐味をまざまざと見せつけられる。ポール・トーマス・アンダーソンの非凡なセンス光る世界観(このように言ってし…
部屋の中でケイコが紙に何かを書いているシーンからこの映画は始まるのだが、日本語字幕では丁寧にもそのシーンに〈紙に書く音〉の文字が表示される。映画を観る時は補聴器を着けるのだが、ペンが走る小さな音には映画の流れに身を任せる状態ではほとんど拾…
『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』を観る。日本公開版では、この長いタイトルに「監督〈自己検閲〉版」がおまけとして付くのだが、鑑賞前は画面のどこかしらに多少の修正が入るくらいだろうとの軽い認識を持っていたのだが、全く甘かった。そ…
ロベール・ブレッソンはプロの俳優をキャスティングせず素人を起用することが多いのはよく知られた話である。『たぶん悪魔が』に登場する若者たちも非職業俳優であり、その無表情な顔や自然体というよりはなかばぞんざいなふるまいが五月革命以後のパリの空…
『LOVE LIFE』の世界には場面設定や現代描写(社会状況、時代背景等)、そして俳優の演技や台詞のそこかしこに「本当らしさ」のディテールが生真面目なまでにばら撒かれている。だが、その「本当らしさ」は現象としてのリアリズムに届きそうで届かないような…
ここ最近一週間のあいだに、3つの現代美術系の個展を観賞する。PERROTINのダニエル・アーシャム「31st Century Still Lifes(31世紀の静物)」、ShugoArtsの山本篤「MY HOME IS NOY YOUR HOME」、CAVE-AYUMI GALLERYの金村修「Sold Out Artist」。絵画とオ…
KAAT 神奈川芸術劇場のプロジェクト「視覚言語がつくる演劇の言葉」は、昨年に制作した短編映像作品『夢の男』のテキストをもとにした同タイトルの短編作品を引き続き制作している。オンラインで映像配信されているので、昨年の作品に続きYouTubeで拝見する…
神楽坂の名画座・ギンレイホールにて『クライ・マッチョ』を観る。1970年代後半の時代設定から始まるこの映画の冒頭は、オーナーらしき人物が待機している、牧場か農園のようなところにあるぽつんとした建物に向かって、一台のトラクターが流麗なカメラワー…
板橋区立美術館の館蔵品展〈 井上長三郎・寺田政明・古沢岩美の時代 ー 池袋モンパルナスから板橋へ 〉を観る。井上長三郎については以前にブログで書いたことがあるので、今回は寺田政明の作品について書いてみたいと思う。というのも、以前に観に行くこと…
以前にブログで取り上げた『コーダ あいのうた』は、今年のアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞の3冠に輝いた。日本では海の向こうの快挙を受けて、当作品の上映館の拡大とロングラン上映決定が続出したとのこと。ろう者としての僕は、ルビーの父役を…
表参道にあるエスパス ルイ・ヴィトン東京で、ギルバート&ジョージの1986年に制作された3連作、《 Class War , Militant , Gateway(階級闘争、闘争家、入り口)》を観る。照明を下げたやや薄暗い展示空間に入った際、すぐさま3つの壁面全てを覆い尽くす大…
家族のなかでただ一人、耳の聞こえる娘・ルビーが音楽の道に進もうとすることに戸惑う耳の聞こえない父と母。コーダの娘をもつ両親の登場人物は、以前の昔に観た『ビヨンド・サイレンス』(1996年・ドイツ)のろう者本人が演じた両親の2人の姿とオーバーラ…
早稲田松竹でケリー・ライカートの映画4本を立て続けに観る。4本とも掛け値なしに素晴らしかった。『リバー・オブ・グラス』(1994年)はデビュー長編というのもあるが、ライカートが評価されるきっかけになったと言われる長編2作目『オールド・ジョイ』…
東京都現代美術館で「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展を観る。僕は耳が聞こえないのだが、日常生活の中で常に音の存在を目の当たりにしている。聴覚的にはサイレントな状態ではあるが、視覚的にはノイジーな状態としてある。…
先日、僕の母校である東京造形大の附属美術館に足を運んだのは、学生時代の4年間お世話になった髙橋淑人先生が2年前に退職し、コロナ禍でしばらく延期されていた退職記念展が開催していたからだ。様々な用事が重なり最終日になってやっと観に行けたのだが、…
前回のブログでも書いたことだが、最近は数十本の映画を短期間に集中して観ている。最近の映像媒体は始めから映画として創作するというよりも、動画として創作するという感覚のほうにウエイトがかかっているので、一概に「映画」と言い切れなくなっているよ…