2014-01-01から1年間の記事一覧

ウィレム・デ・クーニング

ブリヂストン美術館へ初めて行く。目的はウィレム・デ・クーニング展だ。パワーズ夫妻コレクションによる小規模な展示とはいえ、ここまでクーニング作品がまとまった形で展示されるのはこれまで日本国内ではなかったではないだろうか。1960年代の女性像を中…

堀浩哉展「起源」

僕はドローイングを全くしていない。おそらく制作の出発点が映像イメージにあるからだろう。既存のイメージから出発しキャンバスに直接描く。自身の身体から発生する新しいイメージに立ち会うことなく、映像イメージをすでにあるものとして非主体的に扱うと…

「みちのくの人形たち」

深沢七郎本人らしき主人公である老人のところに出稼ぎ労働者が唐突にやってくる。深沢は労働者のことを<このヒト>と表現している。<このヒト>という人称代名詞は現在流通している文にはほとんど出てきそうもない前時代的な気配をもよおし、ヒト科のヒト…

ことづけが見えない (イベント)

ぎゅう詰めされた狭いホワイトスペースの非日常空間を出たあと、熱をおびた複雑な感情が血液の流れとともに僕の知覚全体のなかでぐるぐるまわっている。自由と不自由の対極をなすふたつの感覚が交錯してもいる。複雑な感情というのは、やはり当事者としての…

「人間の行動」

オペラシティギャラリーで開催中の「絵画の在りか」展で気になった作家のひとりである小西紀行の個展「人間の行動」を見る。「絵画の在りか」の作品は、黒全体のモノトーンな色調であったが、個展では、うってかわっていくつかの配色があり、カラフルな作品…

「絵画の在りか」

の被膜によって、浮かび上がる、筆致の痕跡という実在とイメージとの中間領域に/明治以来の日本人画家たちによる空間表現との格闘の過去を暗示する/多くの作品では近景と背後の遠景の2つの世界が存在し、異質な空間や世界の共存が画面に奇妙な違和感を生…

ポリティカルなイメージ

タイトル未定 F50 油彩/キャンヴァス

「われわれは<リアル>である」

住みたい街ナンバーワンの吉祥寺にある武蔵野市立吉祥寺美術館で「われわれは<リアル>である」、[1920s - 1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働]という長い副題がついた展覧会を観る(初めて行ったのだが、…

CRASH!!!!!

「多重なる悲劇」 F40 油彩/キャンヴァス

絵画についての覚書3

絵を描いているときに精神が分裂している状態になっているのではないかと感じることがある。僕自身の心身から発生しているのではなく、絵画によって精神が分裂されているという感覚。あるいは、僕自身のなかに潜在している精神の分裂が絵を描くことによって…

「中村一美展」

現在絵画製作中で終盤の段階に入っているのだが、キャンヴァスに絵具をのせ始めたときにあった油絵具の物質性との戯れは一段落し、作品全体を眺めながら描くことが多くなってきた。四角の枠をもつキャンヴァスに絵具をどんな形でのせようとも、当然のように…

ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ

こじんまりとした絵画作品群にはどれも同じような謎めいた雰囲気が漂う。人物像が多いが、その多くは顔を下向いている。観る者の視線と交わることはない。思索にふけているのか、それとも無心の状態になっているのか、しばらくのあいだ凝視してもどちらなの…

絵画についての覚書2

アクリル絵具から油絵具へ乗換えはしたが、絵画制作のプロセスは以前と何ら変わっていない。あまたの映像から選択された数点の映像をレイヤーで編集し、重層的なイメージを形成する。出来上がった構成的映像をプリンタし、それをもとにキャンヴァスにグリッ…

「山に生きる人びと」

宮本常一の「山に生きる人びと」を読む。すごく面白かった。ずっと前にドライブにはまっていた時期があって、秩父から雁坂トンネルを通って山梨に向うルートや小鹿野から群馬に向うルート、また奥多摩から山梨に向うルートなどをよくドライブした。道路を走…