絵画についての覚書2

アクリル絵具から油絵具へ乗換えはしたが、絵画制作のプロセスは以前と何ら変わっていない。あまたの映像から選択された数点の映像をレイヤーで編集し、重層的なイメージを形成する。出来上がった構成的映像をプリンタし、それをもとにキャンヴァスにグリッドを使って拡大描写していく。映像イメージから絵画イメージへの移行。アクリル絵具のときは二次平面上で2つのイメージがするりと横滑りするような感覚があったのだが、油絵具では真っ先に絵具のギトギトとした固形性といつまでもつきまとう匂いにぶつかり、圧倒的な物質性が現れる。描くというより、得体のしれない即物的なものと戯れるという感覚。 物質性と戯れるあいだ、イメージという概念は片隅においやられてしまう。アクリル絵具のときからパソコンでの編集の段階でイメージは完成するのだが、油絵具でキャンヴァスを埋めていく作業はアクリル絵具のときより、絵画表面に没頭する度合いが高くなってきている。色合いの調整に頭をつかうことはあっても、キャンヴァスから遠ざかって全体像を見るという行為は以前と比べて減っているような気がする。二次元から三次元へと物質性が起き上がろうとする現場に居合わせているという感じだ。現在僕がやっていることは、絵画をイメージではなく物質として見直していることなのだろうか。それはイメージに独占されてきた絵画を、イメージの側から物質の側に引き渡すという無意識的な心身の働きが生じてきたのかもしれない。一方、絵画の二次平面という空間は、具象にしろ、抽象にしろ、イメージの独壇場だ。絵画とイメージは不可分であり、どうあがいてもキャンヴァスからイメージを打ち消すことは出来ない。だが、イメージに全てを預けるのではなく、ぎりぎりのところで物質性を保存していく(保存するというよりもさらしておくというほうが感覚的にはしっくりくる)。それが絵画表面のノイズとして身体的リアリティを獲得する(マチエールの優位)。絵画表面の一部分を凝視していると、油絵具の筆致はイメージに抵抗しているかのようである。イメージという滑らかで透明な表面上で突発的に生じる裂け目がノイズである。イメージとノイズが二重化している状態がいわば イメージのなかで生起する出来事なのだ。油絵具のおかげで、これまで感性と惰性だけでやってきたキャンヴァス上でイメージをなぞるだけの非創造的な作業にようやく意味を見出せそうだ。