2010-01-01から1年間の記事一覧

「クリスマス・ストーリー」

アルノー・デプレシャンの「クリスマス・ストーリー」を観る。フランス映画ではあるが、これは立派なハリウッド映画でもある。複雑な物語構成でありながらも全編にかけて退屈させない創りが、現在のハリウッド映画と寸分も違わない印象を受ける。150分という…

「ドアーズ/まぼろしの世界」

ろう者である僕なのだが、信じがたいことにこの映画でドアーズの音楽を完璧に聴くことができた(補聴器をつけてはいたけど、物音的レベルでしかない)。聴者やドアーズのファンから「そんなわけねーだろ!」と罵倒されたり、失笑を買ったりされても、一向に…

「告白的女優論」

吉田喜重のフィルモグラフィーを大きく3つに分けるとすれば、松竹大船時代、現代映画社初期、ドキュメンタリー製作〜現在といったところか。フィルモグラフィー晩期の「人間の約束」「鏡の女たち」はブランクを感じさせないほどの大傑作で衝撃をくらったの…

「アイ・コンタクト」

世の中には、様々な人間がいるように、耳が聞こえないといっても様々な人たちがいる。だが、様々な耳が聞こえない人たちというのは、なんといってもまず、言語使用形態の違いが真っ先に現れてくる。もちろん大きな違いは、手話の有無である。最初、手話か、…

芸術的ストーカー映画

イメージフォーラムで「シルビアのいる街で」を見る。文句なしに立派なストーカー映画なんだけど、不気味さや陰鬱さはひとかけらも感じることなく、唯物的ともいえる豊穣な描写イメージに目が釘付けになってしまった。日光や街のざわめきによって刻々変化す…

D・V教信者の告白

最近、絵画制作とは別の副業を始めたぐらいでブログ更新がおろそかになってしまうなんて、僕はなんてダメダメ人間なんだろうとつくづく思うこの頃である。さて、久しぶりのブログはもちろん映画感想だ。てゆーか、精神的余裕をもてない現在の俺は映画を観て…

「略称・連続射殺魔」

舗道がまだ整備されていない地方の街らしき中で、祭りの参列が寂しげに進むところから始まるこの映画は、ノンフィクションの装いを最後まで脱ぐことなく、日本が高度成長期の最中にあった時代の風景のみを約90分にわたって写し続ける。何の変哲もない一地方…

ジョニー・トーの様式美

「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」。やけに長い邦題だな。原題は「Vengeance 復仇」、そのままでいいじゃん。でもこの映画を見れば、キザなタイトルをつけたがるのもわかるような気がする。それくらい詩情的イメージが終始画面の隅々まで行き渡っている。ジ…

森村泰昌 なにものかへのレクイエム

暗闇のなか、横長の大きな壁面に余すところなく目一杯引き伸された映像画面は、2画面に分割されていて、どちらも森村泰昌扮するヒトラー(チャップリン)が映っている。1つは終始モノクロ画面でヒトラーの顔がはみ出さんばかりにクローズアップされていて…

藤田敏八の映画

ちょっと前まで、渋谷の名画座で田中登の映画を個人的に発見しようと思って8本を立て続けに見たのだが(どれも傑作で素晴らしかった!)、他の日活ロマンポルノ映画も一緒に上映されていて、そのなかで藤田敏八の「エロスの誘惑」と「危険な関係」も見るこ…

「㊙色情めす市場」

先日ついに、日活ロマンポルノいや日本映画の大傑作「㊙色情めす市場」(田中登)を観ることが出来たのだ!あまりにも凄すぎて映画を観終わった後、しばらくのあいだ席を立つことができなかった。いきなり冒頭シーンから衝撃を食らってしまう。やや荒々しい肌…

サイレント映画の記憶

最近、3本のサイレント映画を観る機会があった。「キートンの大列車追跡」(バスター・キートン)、「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエル)、「三面鏡」(ジャン・エプスタン)の三本だ。久しぶりのサイレント映画を目前にして、僕は神妙な心持ちになり…

「ユキとニナ」

他者と対峙する時のとまどい。それが子どもであるがゆえに映画の内部と外部を分けたつ一線を突き破って全面的にさらけ出してしまう。両親が離婚するユキが出した仲直りしてほしいという内容の手紙を読んだ母親は激しく泣いてしまうのだが、その場にいたユキ…

どこまでも絶望的な風景

曽根中生の「色情姉妹」を観る。ヌーヴェル・ヴァーク風の躍動感を凝縮した冒頭のプロローグ的モノクロシーンからラストの荒涼とした美しい絵画的シーンまで映画的強度が途切れることなく、終始圧倒的だった。舞台は今ではネズミやアヒルたちが支配するメル…