2018-01-01から1年間の記事一覧

『緑色の髪の少年』

2018年の締めくくりに(といっても数本しか観れてないが)、ジョゼフ・ロージーの『緑色の髪の少年』(1948)を観る。この映画でハリウッドデビューを果たしたロージーは、のちに当時アメリカで吹き荒れていた赤狩りを逃れて、イギリスへの亡命を余儀なくさ…

『お願い、静かに』

柔らかな中間色とでもいえるような淡い画調に施された表層のうえを子供たちのやや消極的な表情が純粋無垢なまま浮遊している。自分には聞こえない教師たちの話し声が教室や体育館の外部からのつながりを持たないドメスティックな空間を自由自在に行き来する…

『アジアにめざめたら』

東京国立近代美術館で『アジアにめざめたら』の展覧会を観る。金曜日は通常17時の閉館時間が20時になっているので、退社後の時間を利用して観に行ったのだが、全然時間が足りなかった。思いのほか映像作品が多く、さらっと観て途中で切り上げることがなかな…

『寝ても覚めても』

『寝ても覚めても』を観る。柴崎友香の原作を先に読んでから観ることを考えていたが、計画的行動は苦手ではじめからうまくいくはずもなく、とにかく濱口竜介の映画の初鑑賞を済ませなければという気持ちが先行し、他の所用のあいまを見計らうようにして何の…

『タイニー・ファニチャー』

大学卒業後、あてもなく実家に帰ってきたオーラ(レナ・ダナム)は、出迎えすることなく地下のフォトスタジオに籠もったまま作品制作に取り掛かる母と妹(実の母と妹!)のスタイルの良い身体と対照的な身体をスクリーンに露出する。母から「家に住むなら私…

『グッバイ・ゴダール!』

『グッバイ・ゴダール!』を観る。どこかの映画館で手に取ったチラシの表紙からくる、妙な感じはあったものの、20代の僕にとって青春だったゴダールをフィリップ・ガレルの息子であるルイ・ガレルが演じるという魅惑的な組み合わせに無反応でいられるわけが…

『それから』

ホン・サンス監督の『それから』を観る。世界中から高い評価を受け、現在はもはや巨匠の域にはいりつつあるホン・サンスの映画は、恥ずかしながら初鑑賞である。初見の作品がモノクロであるのは、今後のホン・サンス体験に何かしらの影響が及ぶことになるか…

ターナー

損保ジャパン日本興亜美術館の『ターナー/風景の詩』展を観る。印象派以上に印象的な晩年の代表的と言われる類いの作品はほとんど無かったが(おそらく門外不出レベルなのだろう)、それでもチラシで謳っているように100%ターナーの作品がずらっと展示され…

スピルバーグの包容力

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観る。政治の劣化が目に余りすぎる現在の日本に、ある意味タイムリーな映画であるが、それ以上にシリア攻撃を行ったトランプ政権に反旗を翻すような内容をハリウッドでさらりと当たり前のように製作するアメリカ…

熊谷守一

自身の展示が終ったのもつかの間、年度末の慌ただしさに取り紛れるなか、なんとか東京国立近代美術館の『熊谷守一展』を観ることができた。何かの展覧会のなかで一点とか数点を観る機会は以前に何回かあったが、その時の印象というのはたいがいデパートの催…

二人展のパンフレット

【テキスト1】 オブジェクトとイメージがそこにある。オブジェクトが先にあるのか、それともイメージが先にあるのか。実体的なものと非実体的なものを分け隔てすることなく全てをひっくるめて視覚そのものだけを経験することから創造行為が始まる。リュミエ…

二人展のお知らせ

神津裕幸 × 佐藤譲二 展 『無印、あるいはノイズのような』 ろう者の作家2人によるコラボ展示を開催いたします。 ご来場をお待ちしております。(17日18時からささやかなレセプションを行います) 2018/2/12(月・祝)〜 2/24(土)、 2/19(月)休み 11:00…

絵と物、線と棒、円と瓶

府中市美術館の『絵画の現在』展を観る。「現在」という言葉は時制としてのたんなる意味を剥ぎ取った時に絵画にふさわしい言葉なのだろうかと、ふと思いつきながら美術館に入る。エスカレーターを上り、入口近くまで進んでいくと右側と左側にスペースが分か…