ターナー

損保ジャパン日本興亜美術館の『ターナー/風景の詩』展を観る。印象派以上に印象的な晩年の代表的と言われる類いの作品はほとんど無かったが(おそらく門外不出レベルなのだろう)、それでもチラシで謳っているように100%ターナーの作品がずらっと展示されていたのには十分すぎるくらい贅沢な時間を僕に与えてくれた。約120点ある展示作品群のなかに、メゾティントの『海と空の習作』(1825年頃)と水彩の『波の習作』(1840年頃)の習作が2点だけあったのだが、具象絵画や細密画がほとんどを埋め尽くす会場のなかで、ひと際抽象度の高いものになっていた。空と海を分ける水平線がなく、あいまいな模様だけが描かれている。2つの習作の2、3つ先にある『オステンデ沖の汽船』は煙、波、雲が汽船を中心にして渦を巻くように、形態をあまり区別することなく水彩で荒々しく描かれた抽象的イメージになっている。その作品は1840−41頃となっているので、その辺りから晩年に向けて抽象化が始まったのかもしれない。卓越した描写力によって描かれた具象絵画でもターナーは自然界の事象を肉眼で描いた数多くのスケッチをもとにしながら、アトリエのなかで自身の記憶でコラージュするにつれて、写実と想像の織り成すイメージを凌駕する崇高な自然が持つ抽象性を獲得している。ターナーの水彩画や油絵作品は1つの画面に多くの色を使っていない。鮮やかではなくどちらかといえばくすんだような同じトーンで描かれている。晩年はほとんど光と大気が画面を支配している。同じトーンの色彩で描くターナーエッチングやメゾティントなどの手法でモノクロの版画作品を多く手掛けていたのは必然の成り行きだった。生前から多くのパトロンを持つ人気画家だったターナーは自身の画業を広める為に版画を大いに利用したというが、モノクロの平面性は形態や遠近法が崩壊し全てが融合する壮大な自然のイメージをさらに推進している。『ドーヴァー海峡』(1827年)の崖は高波にしか見えないし、『アルヴェロン川の水源』(制作年不明)は山と木々、遠景と前景が溶け合っている。建物とそれを囲む風景のおぼろげな関係性は、人工物と自然物の対立が消滅したイメージとなっている。ターナーの水彩画の画面を近くで見るとそこかしこにスクラッチアウトが施されている。塗られた絵具をこすり紙の白い地を出す、ある意味では大胆な手法を目の当たりにすると、たんなる絵画的技法としてではなく自然の巨大なエネルギーや神々しさに導かれて二次元のイメージを破壊し、未知の世界へ飛び込む衝動的な行為のようにも思えてくる。ターナーにとっての抽象化とはこのようなことであり、ターナー自身のエモーション(情動より情念のほうに近い)そのものなのだと思う。