ホン・サンス監督の『それから』を観る。世界中から高い評価を受け、現在はもはや巨匠の域にはいりつつあるホン・サンスの映画は、恥ずかしながら初鑑賞である。初見の作品がモノクロであるのは、今後のホン・サンス体験に何かしらの影響が及ぶことになるかもしれないというのは考えすぎだろうか。モノクロはホン・サンスの新しいミューズであるキム・ミニの存在によって選択された画面の表現であるのかもしれない。タクシーの車窓から雪模様を眺めるキム・ミニの横顔を形づくる白黒のハイライトとシャドゥは本作品のなかで異次元の輝きを放っている。一方序盤のあるシーンでは、ボンワン社長(クォン・ヘヒョ)が妻に浮気を問いつめられた後、家を出てすぐの広場らしきところを歩く現在の時間と愛人(キム・セビョク)とのあいだに恋が芽生えたときの少し前の過去の時間がボンワンの自宅マンションの周辺だけのロケーションで現在と過去が同時進行しているかのように、時制の差異を超えた画面そのものが反復している。ボンワンが家を出るときのまだ外が暗い早朝と飲んだあと自宅まで愛人に送ってもらう真夜中はモノクロ画面のなかではほとんど識別不可能であり、自宅周辺を循環する連続的空間では時間感覚が麻痺してしまう。かろうじてわずかな文脈を頼りにしながら曖昧な画面を追っているいるだけだ。それでも時間は止まることなく画面だけが進行する不気味さはモノクロのフラットな画面によってさらに深化している。ホン・サンスの描く男女の会話は1つの画面内でお互いが食事のものや書籍が無雑作に置かれているテーブルを挟んで向き合った構図でおこなわれている。切り返しショットはほとんどなく、固定された全体画面のあいまに平行移動のパンで人物を映しながらそれぞれの言葉を交互に拾っている。パンの運動がこのまま続くかと思うと唐突にどちらかをズームアップする。発言する対象者にパンし、ズームアップするカメラワークはホン・サンス自身の主観的な視線として現れるのだが、偶然的な運動のようにもみえるカメラの自由な視線そのものはその場の空間や言動行為の自然さ、あるいは無意味さを肯定的に捉えてしまっている。男女の会話や言葉は何の変哲もないささやかな断片的なものでしかない。その場に思いつくまま出てくる頼りないものであるがゆえ、アルム(キム・ミニ)の「この世界を信じる」といった確信に満ちた言葉が出てきたにもかかわらず、ボンワンと愛人は自己保身の為にアルムを利用してしまうあっけらかんさに繋がってしまう。悪者や善人といった区別はなく全ての登場人物が等価に扱われている。等価的な人間関係からくる不可解さやはかなさをひっくるめた瞬間的な積み重ねの全てが淡々と肯定されている感じなのだ。ボンワンがアルムに夏目漱石の「それから」の本を渡すラストシーンの清々しさは、映画のなかで閉じることなく映画の外にある現実にまで染み渡っていく。カラーのホン・サンスもいくつか待機しているので、また映画館に出向かうことにしよう。
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