最近の絵画制作についての覚え書き

僕の絵画制作方法はこうだ。まず素材となる写真や画像を3〜5点選択する。自分で撮った写真からネット画像まで様々であり、1つのテーマを決めて関連する映像素材を集中的に集めることもあれば、恣意的に脈絡を欠いたセレクトもする。選択したいくつかの映像素材を画像編集ソフトの画面にカラー破棄(モノクロ)で書き出し、透明度をいくつかに分けながら同一画面の上で重層していく。つまり重ねれば重ねるほど元の映像イメージにある事物の輪郭がおぼろげになっていく。この時点で具象イメージから抽象イメージへのベクトルが発生する。レイヤーを使って抽象イメージの画面構図を細かく決定していく。また、モノトーンやコントラストの調整もする。僕のデザイン感覚(センス)で構成していくわけだが、その時に注意しているのは元の映像イメージにあった事物の判別可能な輪郭の破片をぎりぎり残すことである。抽象イメージに向かいつつ具象イメージにも戻れる境界線に踏みとどまっていく。大概は僕の主観的な認識だけであって他人の目にはわからないことがほとんどだが。最終イメージが決まったら印刷。プリントアウトされたイメージ図にグリッド線を引き、キャンヴァスにも同じ比率のグリッド線を引く。これによって下図をほぼ正確に拡大模写することが出来る。下図が終わったら、あとは完成に向かってただひたすらキャンヴァスに絵具をのせていく。配色(モノクロのグラデーション)は基本的にはイメージ図の通りに絵具をのせる。こうして僕の絵画制作の過程を言説化してみると作家としての独創的な主体は影をひそめているような印象がする。いくつかの制約や条件に遮られながら機械的に絵画作品を生産する行為という気がしないでもない。作家の意思が現れるのは画像編集でイメージ図を決める時だけであり、あとは方法論的に忠実に従うのみである。しかし、完成に近づいていく段階でストロークという身体的動作に身をまかせていると衝動的な心情が生じ、忠実な絵具塗りを時々無視するようになる。自由と不自由、秩序と破壊が1つの空間でせめぎあうのが僕の絵画制作の主題であるのかもしれない。映像イメージから絵画イメージ、具象イメージから抽象イメージへの移行は全て視覚の問題から来ている。肉体的な視覚のメカニズムと社会的、歴史的に形成された視線が交錯した先にひとつのイメージが出現する。視ることは開放的でもあり閉鎖的でもあり、不確実な知覚行為である。重層的イメージは視覚的ズレを形象化する。僕自身の身体から出発し、視覚とイメージに対する認識と感覚を絵画制作につなげていくこと。そこから新たなイメージが出現するために僕は絵を描く。