2016-01-01から1年間の記事一覧

牛腸茂雄

所用で六本木に行ったら、東京ミッドタウン1FのFUJIFILM SQUAREで牛腸茂雄の写真展をやっていたので、迷わず寄ってみた。牛腸は生前中に3冊の写真集を自費出版で刊行している。3冊のうちの《日々》、《SELF AND OTHERS》の一部と、カメラ雑誌『日本カメラ…

「井上実展」

コンクリートやアスファルトに埋め尽くされた街のはずれにかろうじて残されている自然のなかでひっそりと茂る雑草を散歩の途中で撮影する。その撮影された画面のアングルこそが制作プロセスのなかで作家の主体性が最大に発揮される行為の形跡となっている。…

「ハドソン川の奇跡」

一夜にして英雄となったサリーはハドソン川に不時着水したその夜に悪夢を見る。ハドソン川ではなくマンハッタンの高層ビル群に機首が衝突し炎上するところでサリーはガバっと起きる。悪夢を取っ払うために真夜中にジョギングした先には戦闘機が停まっている…

トーマス・ルフ/近代風景

東京国立近代美術館で1Fの「トーマス・ルフ展」と2F(ギャラリー4)の奈良美智セレクションの「近代風景」展を観る(常設展も毎回見るのだが、今回は用事の為断念)。トーマス・ルフの作品の大半は他者が撮影したものである。自身が撮影した作品はこの展示…

smt

定禅寺通りを走る市内循環バスの「メディアテーク前」停留所で降りるとケヤキの広がる枝模様と太陽光が鮮やかに反射するガラス全面張りのファサードがいきなり出現する。停留所とファサードの間の距離は歩道分しかないのだが、歩道側のケヤキ並木がガラスの…

ルーシェイとフロイド

東京ステーションギャラリーへ「12 Room 12 Artists」を見に行く。ルシアン・フロイドとエド・ルーシェイ(以前は「ルシェ」となっていたのだが)が目的だ。二人とも日本ではまとまった展示がなかなか無くて、しかも同一展示という奇跡に近い組み合わせだか…

「FAKE」

列車が走る時の音の存在を親切にも字幕で教えてくれるベランダのシーンで、佐村河内はタバコを吸っている。家のなかにまでメディアが侵入するなか、佐村河内はベランダに出ることでかろうじて本来の自分を取り戻そうとする。ベランダに奥さんが出てきた時に…

「LISTEN」

「音楽」そのものがわからない僕にとって、映画のなかでろう者が「音楽」を語れば語るほど、「音楽」がますますわからなくなっていく。だが、この映画に現れる「音楽」は言葉や概念としての「音楽」、音声ありきとしての「音楽」ではなく、視覚的に行動する…

個展のお知らせ

このたび、個展を開催することになりました。 是非、お立ち寄りいただければと思います。 佐藤譲二/イメージの手触り 2016年5月6日(金)– 5月15日(日) 開廊時間 12:00 – 19:00 月曜・火曜休廊 金曜 – 20:00 最終日 – 17:00マキイマサルファインアー…

ジョルジョ・モランディ

東京ステーションギャラリーで「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」展を観る。目の前にあるものへの絶対的な信頼性と対象の物質と空間への徹底性。モランディの作品をじかに見ていると、時間の感性がまるっきり違うことに愕然とさせられてしまう。絵画…

「エンリコ四世」

海だか湖だかわからない水面(あるいはなかったのかもしれない)に日の出あるいは日没の黄金色が美しく染まる景色が列車の移動撮影によって流れていると思って見ているうちに、画面がゆっくりとパンしながら助手席の医者らしき人物をとらえたときに列車では…

恩地孝四郎

友人にすすめられて、東京国立近代美術館の「恩地孝四郎展」を見に行ったのだが、思いの他とても良かった。木版画を中心に油彩画、ペン画、ブックデザイン、写真など様々な表現領域を自由自在に横断する恩地の仕事の全貌といってもいいくらいの作品群を目の…

戯曲を読む

演劇を観ることなく戯曲を読むということはどんな体験なんだろうか。それも戯曲に出てくる役を演じるつもりもないただの一読者として。チェルフィッチュ主宰、岡田利規の「三月の5日間」(白水社)は、イラク戦争が始まった3月にライブで知り合った男女が…