恩地孝四郎

友人にすすめられて、東京国立近代美術館の「恩地孝四郎展」を見に行ったのだが、思いの他とても良かった。木版画を中心に油彩画、ペン画、ブックデザイン、写真など様々な表現領域を自由自在に横断する恩地の仕事の全貌といってもいいくらいの作品群を目の当たりにして僕の停滞気味な創作意欲をかき立てられた。ありきたりなことだが、やはり作品制作というのは連続と持続があってこそ作品のひとつひとつに価値が帯びてくる。木版画は基本的にはひとつの版を彫っていく、いわば引き算の技法なのだが、色面の摺り重ねによって足し算の技法に展開していく。木版画は、主に単一色で彫り跡を生かす凹面と彫り残した部分に絵具を載せる凸面のどちらかに比重を置くかによって作品のタイプが変わるのだと思うし、凹面と凸面が相互に作用し合う場合もある。恩地の木版画に表れる技法も様々であるが、全体的に眺めると凸面が優位にたっているような印象がする。異なる色の面を組み合わせて出来上がる抽象的イメージは、コンポジション的でありながらも具体物を対象にしてタッチを重ねていく感覚がある(タッチにしては極端ではあるが)。もののかたちを外面から内面へ、知覚から感覚へと感情的移行があまり大きくない作品のなかでおこなわれている。日本で最初の抽象表現といわれている《抒情「明るい時」》(1915)は一版刷りであるが、輪郭線を彫るというより、面をつくるように彫ることで単一色でありながらも、凸面の様々な表情を最大限に引き出している。赤い画面のなかにいくつもの円弧がせめぎ合いながら中心の空洞に向かうシンプルな構図と色使いは鮮やかであり艶めかしく輝いている。ギャラリーを進んでいくと、いくつかの油彩画が展示されている。静物画が何点か並列されているのを目の当たりにしたときは、何故かセザンヌのタッチを彷彿させられて、僕の心が踊り出さんばかりであった。そのなかの一点である「死せる鳩」(1920)は大胆な構図と全体的な荒っぽさのなかに繊細なタッチが折り重なるように反響しあって、不穏な雰囲気を醸し出す画面のやや右上にひとつの塊がひっそりと存在感を放っている。絵具を載せることと版を彫ることは仕事の方向が逆ではあるけれど、色を使うことでどちらも同じように感覚の実現を図ろうとする。恩地の木版画装幀家としての旺盛な仕事へと繋がっていくのだが、それらのブックデザインも含めて版画の複製可能性という特質は少しも意識化されることなく、あまたの作品を一点ずつ向き合うようにして会場を出ると、いつもの世界が少しだけ変わっていた。
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/onchikoshiro/