熊谷守一

自身の展示が終ったのもつかの間、年度末の慌ただしさに取り紛れるなか、なんとか東京国立近代美術館の『熊谷守一展』を観ることができた。何かの展覧会のなかで一点とか数点を観る機会は以前に何回かあったが、その時の印象というのはたいがいデパートの催事場で販売されているような絵画のもつ庶民的な親しみやすさが勝ってしまう。しかし今回の展覧会は200点を超える史上最大規模の回顧展であり、これだけの数があつまると一点一点の親しみやすさは保持しているものの、日本美術史のなかの最重要画家扱いという感じが出ていて心地よい違和感を覚える(というか東京国立近代美術館の展覧会はいつもこんな感じである)。初期の作品は東京美術学校黒田清輝の指導のもと、暗い色調に描かれている。親友だった青木繁の画風にも多少重なるふしもあるが、東京美術学校の学生の絵画は総じて薄暗いトーンの似たり寄ったりである(現代は中間色のトーンか)。物質的な制限(絵具や油など)からなのか、時代あるいは学校の空気からなのか、本当のところどうなんだろう。熊谷の初期は闇のなかの光というテーマが際立っていて直接的である。初期作品のなかで注目を引いたのは、列車に飛び込んで轢死した女性を描いた《轢死》(1908)。経年による暗色化のため、ほとんど真黒な画面にしか見えないのだが、凝視し続けると横たわっている死体の輪郭が街灯や月光などの逆光によってほのかに浮かび上がっていることが次第にわかってくる。《轢死》のモチーフを後年に再び採り上げた《夜》(1931)の作品になると、いっそう轢死のイメージと死体の輪郭が明確になってくるのだが、その5年後には《轢死》と《夜》の延長線上ともいえる《夜の裸》(1936)が描かれることになる。《夜の裸》は《夜》の荒々しいタッチが赤い輪郭線によって整理され、平面的な抽象性を生み出している。混沌としたイメージのなかから人体や事物をひとつひとつの面に区分けするうちに赤い輪郭線が生まれてきたのである。《夜の裸》は、太い線で縁取られたコントラストのはっきりした配色をもつ晩年の熊谷作品へとシフトする転換点となった興味深い作品である。世界にある事物は光によって分けられている。印象派の画家たちは面と面、タッチとタッチのあいだに光を通過させたが、熊谷は単純化した画面のなかで光を輪郭線に置き換えて世界を表現したのである。あふれかえる光の束ではなく、夜の世界から浮かび上がる物の背後からさし照らすわずかな光線。その光は死のイメージを常にもっていた熊谷の一生続いた感覚でもある(《ヤキバのカエリ》(1956)のシンプルな画面に対する、様々な感情や感覚が入り乱れるなんともいえない不可思議な感じ)。それにしても光が赤い線になるとは、本人もどう転ぶかわからなかったに違いない。
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