スピルバーグの包容力

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観る。政治の劣化が目に余りすぎる現在の日本に、ある意味タイムリーな映画であるが、それ以上にシリア攻撃を行ったトランプ政権に反旗を翻すような内容をハリウッドでさらりと当たり前のように製作するアメリカの不可思議さに相変わらずため息をつく。おおざっぱな見方をすればトランプ政権と同じくニクソン共和党政権を糾弾する構図として見ることもできるが、外部から見ればアメリカの二大政党制のなかで国家権力を握れば、共和党民主党の差なんて資本主義思考から外れない限りそんなに変わりはない。共和党の排外主義や強権的政治を強く批判しても共和党と拮抗できる民主党という後ろ盾があるから一種の安心感がどうしてもつきまとう。そこにハリウッドが製作する社会派映画の限界を感じることもあるが、『ペンタゴン・ペーパーズ』では政治的な党派や階級が交錯する組織のなかで現実的に動きまわりつつ強靭な壁を乗り越えようとする個人のあり方に着眼点を置き、70年代の見事なディテールや熱気をからませた映画的贅沢を堪能できたことも認めないわけにはいかない。そこはさすがスピルバーグとしかいいようがない。
夫の自殺によって専業主婦から新聞社の社主になったキャサリン・グラハム(メリル・ストリーブ)は突如変化した境遇のなかで政治家や役員など上流社会の人々としがらみや対立を抱えつつ、一家や新聞社の運命にかかわる人生最大(といってもいい)の決断を下す。その勇敢さは報道の自由を守っただけではなく、ますます不可解で複雑化する世界のなかへ一歩を踏み出したことへの表明でもある。家族経営に守られてきた新聞社ではなく、多様な人々によって成り立つ新聞社(世界)のなかで自らの信念を通すことがどれだけ大変なことなのかが、1人の女性を通して描かれている。だが、ある1人の物語ではないことはいうまでもなく、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)のような常に身近にいる理解者、その勇気ある部下たちの奮闘によって希望へのうねりが起こったのである。デスクの主要登場人物たちのほかに無名の人物までもが重大な局面に必要不可欠な人物として事細かに描写されているのも、この映画を一層魅力あるものにしている。特に最高裁判所に出廷したキャサリンを長蛇の列から裏入口へと導く弁護士事務所のスタッフらしき移民系の小柄な女性の場面はストーリー構造の末端部分にすぎないが、強く印象に残る場面である。裁判が終わり最高裁判所の外へ出て人ごみの階段を下りるキャサリンの両側を何故か若い女性だけが出迎える美しい光景は、最近の「#Me Too」のムーブメントを意識してのものであるに違いない。こういった表に出ないごく普通の人々までもがキャサリンの決断につながっているのであり、印刷工場で黙々と働く労働者から早朝のトラックから放り出された新聞の束を拾い上げる配達者までを流麗な美しい映像に収めるスピルバーグは包容力によって時代を超越した世界の事象事物を網羅している(理想としての平等というより唯物的な等質)。
http://pentagonpapers-movie.jp/