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定禅寺通りを走る市内循環バスの「メディアテーク前」停留所で降りるとケヤキの広がる枝模様と太陽光が鮮やかに反射するガラス全面張りのファサードがいきなり出現する。停留所とファサードの間の距離は歩道分しかないのだが、歩道側のケヤキ並木がガラスの向こう側にも続いているかのように建物の内部にも白いチューブがニョキニョキと生えていて、建物に面する時の圧迫感は微塵も感じることはなかった。その一方、ガラスに映るケヤキの幹や枝とガラス越しに現れるチューブが同じ形態をもって重なり合う有機的な模様は透明な感じではあるが、スクリーンとしての面を意識するようになる。玄関を入ると高い天井をもった広い空間が来館者を迎え入れる。そのときは催しなどは行われていなかったので、空間ががらんどうになっていて、チューブがところどころに露出している様子が手に取るようによく見える。ライトを落としたやや暗い空間と傾いたりねじれたりするチューブの組み合わせは、ほの暗い海底を思わせ、チューブの周りを歩く人は深海魚に見えなくもない。エスカレーターで2階に上がる途中の踊り場では一階の広い空間を見渡せるようになっていて、一階にいる時の見上げる視線から見渡す視線に移行し、チューブの表情も変わってくる。2階から4階はライブラリーとなっているのだが、3階と4階は一部吹き抜けになっていて、2つの階が一体化している。ほの暗かった1階とはうってかわって明るく開放的な感じであり、チューブが4本そろって上に伸びる様子が気持がいい。天井についているペンダント型の器具は光を天井にあてて反射させているので、光が直接目に入らないようになっている。ファサードの面でもあるガラスから外側の自然光が満遍なく入ってきて、ふたつのやわらかい光が吹き抜け空間をやさしく包んでいる。チューブのなかにあるエレベーターに乗って、5階と6階のギャラリーに行く。市民や学生の様々な展示が開催されていたのだが、気楽に交流できるスペースになっている。高度に洗練された建物のなかで敷居の低い空間が当たり前のように使われている、その軽いギャップのなかで僕も絵を展示してみたくなった。6階から7階への移動はやはりチューブのなかにある階段を上がっていく。白いチューブとは対照的に真っ黒な鉄骨の階段が螺旋状に渦巻いている。階段のなかにいるときが、チューブの構造が手に取れるようによくわかる。内部から間近でみると、三角形の連続あるいは菱形の連続が作り出すデザインの、視線の角度によって表情が変わる形模様がリズミカルで美しい。そしてなによりも驚いたのは、ふたつの階の境面であるプレートの断面がたった50センチくらいの高さでたった2枚の薄い鉄板でできていることだった。7階には曲線の半透明な壁で覆われた中央部分を壁の無いスタジオが一周回りながら連なっている。チューブがスタジオのあいだをさえぎる役割を兼ねている。以上、せんだいメディアテークを見物したわけだが、建物の全体から細部までの全てが拍子抜けになるほど「見えること」に徹底している。ファサードやチューブを囲む筒などのガラスの物理的な透明さと構造としての柱や壁がない抽象的な透明さが合わさることによって、透明な印象から透明な関係に発展していくような大変魅力的な建物だった。