『境域 −紫窓[SHI・SOU]−』

秋葉原と浅草橋の中間というどっちつかずな場所にあるオルタナティブ・スペース「Art Lab AKIBA」の倉庫を利用した空間は、夜の帳が降りきってしまった外部とシンクロするように内部も暗闇になっている。暗闇は奥にあるのだが、カーテンとか遮るものはなくドアが開け放たれていたので、入口に立つ時点で暗闇の空間から何か青と赤がチカチカする光景に引きずり込まれていく。スペースの角に対称に置かれた2台のプロジェクターの光がレンズの手前に置いてあるそれぞれの青と赤の透明フィルムを透過し、向き合っている。青と赤の光がぶつかるところには、両側にカーテンと窓枠が取り付けられた、角材を組み立てたようなオブジェが2つの色を遮るようにして立っている。青の面と赤の面のあいだには約50センチの空洞があり、そこにも小さめの窓枠が2つ吊るしてある。両側から青と赤の光がカーテンを通過して交ざり合うところの空洞では紫の空間に変質しているのだが、ひとつの紫色ではなくパープル、フクシア、マゼンタが所々に現れている。その艶かしい彩りを前にして崇高さと卑猥さの両端にある感情が同時に出てくるのだが、つかの間の感情で留まり、その後は紫色の世界そのものに目を奪われる。現実世界のなかで境界的な空間や中間的な事象のなかにいる時、どっちつかずな曖昧な感情や感覚がつきまとうのだが、ここでは紫色という現象に特化し視覚化されているので、見る者の知覚が真っ先に反応する。映像の叙情的な運動やノスタルジーを感じる古典的な窓枠のイメージによって感情がわずかに生ずる。作家は舞踏家としての顔も持っている。聴覚をもたない身体で様々な動きを表現するとき、相対的に聴覚をもつ身体としての動きが背後に立ちはだかる。作家の身体は音声の世界と音声のない世界のあいだ、主体と非主体のあいだで様々な感情を伴いながら運動を繰り広げる。聴覚を持たない作家の身体は2つの領域にはさまれているが、身体そのものは紛うことなく存在しているように、ここでは暗闇のなかで青と赤の光によって出現した紫の空間だけが鮮烈さをもって自律している。
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