『タイニー・ファニチャー』

大学卒業後、あてもなく実家に帰ってきたオーラ(レナ・ダナム)は、出迎えすることなく地下のフォトスタジオに籠もったまま作品制作に取り掛かる母と妹(実の母と妹!)のスタイルの良い身体と対照的な身体をスクリーンに露出する。母から「家に住むなら私たちに合わせるように」とけん制された後、ベッドから起き上がり、ヨレヨレのTシャツ一枚で露わにされるポッチャリ体型と右肩に彫られた中途半端なタトゥーはアメリカのどこにでもいる大小のコンプレックスを抱える女性の等身大の姿格好でもある。隣の芝は青いというが、同じ家のもとで成功者の母と将来を期待されている妹が身近にいればいるほど心身とともに窮屈にならざるをえない。映画ではこのテクストから来る対立的な印象ほどでもなく、繰り返される家族との衝突も一線を越えたりすることはないが、オーラの不安と過剰な自意識は次第に袋小路に陥っていく。自分の家でさえ居場所を失ったオーラは、床にうつ伏せになり母の作ったミニチュア家具をぼんやりと見つめる。小綺麗でプリティなオブジェ(とオブジェに囲まれた美しい足のモデル)はオーラにとっての母や妹であり、自堕落で無様な自身の心情や身体性が投影されているが、同じ家の無機質な白い棚から見つけた母の日記の中で自分と同じ年頃に綴られた赤裸々な言葉の数々はオーラのバイブルと化し、心の拠りどころになっている。外界に堂々と開かれた小さな家具(タイニー・ファニチャー)は母の現在、内界に密かに置かれた昔の日記は母の過去であり、二つの象徴のはざまでオーラは周りの人々(謎のユーチューバーや生まれる前からの幼じみなどどれも味わいのある登場人物だ)を巻き添えにしながら揺れ動いている。オーラの苦悩は家族のある空間を超えて過去から現在に繋がっているのであり、未来の誰かにバトンを渡されていくのだろう。親身に感じられたかと思えば、遠くの存在に感じられてしまったりと母との距離感がつかめないまま、オーラは行きずりの恋愛感情から理性を失った性欲に身をまかせ、露骨な身体性を無防備にさらけ出してしまう。茫然自失のまま帰宅する先には、やはり母が待ちかまえている。ベッドの上で脆弱な身体を互いに擦り寄せるひとときは、ハッピーエンドというにははるかに及ばないけれど、心の中に沈殿する何かが解き放たれたかけがえのない時間が二人のあいだで共有され、何も約束はしてくれないこの先をそれぞれがただ生きていくしかないことを時たまに思い起こさせる。スタイリッシュな画面と内面的なリアルさ、そして監督・脚本・主演を務めたレナ・ダナム自身の生々しい身体性が融合した稀有な作品である。
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