ペシミズムな身体

土方巽の舞踏公演の記録映像、『肉体の叛乱』『疱瘡譚』のDVDを観る。強烈な身体がフィルムの粗い粒子を凌駕する、かなりショッキングな映像である。『肉体の叛乱』は1968年に日本青年館で公演され、中西夏之が美術を担当している。中西は『肉体の叛乱』の他にも数々の土方の舞台公演の美術を手掛けていて、60年代の土方は中西をはじめ、赤瀬川源平、吉村益信、加納光於風倉匠池田龍雄など、多くの現代美術家と交友を深め、共同作業を行っている(『肉体の叛乱』の記録映像は中村宏が撮っている)。『肉体の叛乱』には数々のオブジェが現れる。冒頭の入場(?)行列では中に豚が入っている乳児用ベッド、白い(多分)布に包まれた土方を囲む大きな布が高く掛けられた車輪付きの御輿、床屋の円柱形の看板などが続いている。大掛かりな行進から解放された土方は舞台の上で様々な動きを繰り広げる。手首に必要以上の力を加え痙攣させたり、足を引き摺ったりするが、白い布を取っ払い裸体となった土方は生々しい男性器のオブジェを露出し、激しい動きへと加速する。腰を激しくくねらす、ジャンプを小刻みに反復する、腕をリズミカルに荒々しく振る、顔を床につけてグルグル回転する、などといった狂人まがいの奇天烈な動作に鶏の生け贄が加わるとそれはもうほとんど儀式である。バラのオブジェを肩に付けたロングドレスを脱いで一心不乱にドレスを振り回し、しまいにはロープに宙吊りされ昇天したキリストになりきる。即興性と荒唐無稽さを前面に出し、肉体をもった個体の存在的密度を高めていく土方の舞踏は、学生を中心に全国規模で政治運動が隆盛するなか、現代美術家の協力を得ながら外側で起こっている知性の叛乱と対峙している。『疱瘡譚』は『肉体の叛乱』の4年後の1972年にアートシアター新宿文化で公演されている。断片したフィルムをつないだ短い記録映像だけでは何もわかったことにはならないが、時系列順に従って『肉体の叛乱』と比較してみると『疱瘡譚』の土方の舞踏は身体と関節がさらに硬直し、重力への抵抗が弱くなっている。移動することを止めるようにして床に横になり這いつくばり、尻を重点にして手足を痙攣させる身振りは、むしろ重力のほうへ、絶望のほうへ自ら進んでいく。やはりフランシス・ベーコンの人物画のように一点に縛られた不自由な空間をつくっている。『肉体の叛乱』の土方は最先端にいる現代美術家たちと共闘し、周りから祭り上げられた時代の寵児というか反近代としての象徴(偶像)として映っているが、『疱瘡譚』ではひとつの孤立した身体として世界の最底辺に放り出された脆い貧弱な存在となっている。だが、その異様な舞踏は西洋思想を経由したメソッドを超えて身体そのものに畏怖し、土方自身の原点に向かおうとしているかのようである。どてらを着込んで島田結いの髪型にした姿恰好は日本的あるいは土着的な風土から出てきた自身をさらけだしている。肉体としての身体そのものというより、もろもろの条件に規定されながら生成してきたペシミズムな身体である。ペシミズムは思考を一時中断するが、土方のペシミズムはその逆であり、思考を持続し感覚を全開にしたまま、不自由な身体のなかに深く堕落していく。
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