井上孝治の写真

戦後の福岡でカメラ店を営みながら、プロレベルを超えた写真を撮り続けたろう者の写真家を知っているだろうか。彼の名は井上孝治。その時はまだ一地方にいるアマチュアの写真愛好家にすぎなかった。だが、1989年に福岡の老舗の百貨店「岩田屋」が展開するキャンペーン広告に、井上の写真が使われたことで一気に注目の人物になる。その後に写真集「想い出の街」が出版され、岩田屋で写真展が開催されるのだが、それが縁で今度は海を渡ることになる。1990年の「パリ写真月間」の展覧会に、現代日本を代表する広告写真の1つとして選ばれ、その3年後にはアルル国際写真フェスティバルで招待作家として個展が開かれる。人は井上の写真のどこに惹かれたのか。きっかけとしては戦後の福岡の復興期の街風景や日常生活の断片に映る、市民の誰もが希望を掴もうと振る舞うことができた時代のノスタルジーな部分にあったと思う。しかし、予定調和的なイメージとかぶさっていくノスタルジーの脆いイメージからは遠く、井上は独自の視線をもって大胆で緻密なフレーミングで斬新な画面構成を切り取ってきた。画面の構成といっても、撮る側によるコントロールや思考ロジックではなく、その場で決定される瞬時的イメージである。質の高い画面構成は、人間生活のポジティブ面から人間の本質的なものを引き出すためになくてはならない技法の結果だったのである。井上の写真には余白的な部分が被写体をやわらかく包んでいるような印象が多い。『沖縄・首里坂下/1959年1月』は縦長の画面になっているが、下部はクネクネ道を走る一台のバス、上部は建物がまばらになっている風景とその向こうにある海といった、画面を半分にして近景と遠景に分けている。井上の写真のなかでは数少ない風景写真であるが、バスが手前から海の方向に向かう構図は人間の生活や街並みがこれから変化していくであろうことを視覚的に予感させる。井上は横構図より縦構図のほうが優れた視覚的感性を発揮しているように思う。『福岡・春日市/1955年2月』の手前のカバンや傘と画面の上にまでぎりぎり人物を置いた上部と下部のコントラストには軽く衝撃を覚える。身体的存在と物体的存在の間に広がる余白に井上は何を見たのだろうか。
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