砂守勝巳《 黙示する風景 》

 原爆の図 丸木美術館で開催中の(5/10まで会期延長されているが、現在臨時休館中)、砂守勝巳《 黙示する風景 》は、釜ヶ崎、広島、雲仙、沖縄の四つの地名が名付けられたテーマごとに構成された展示になっている。広島、雲仙、沖縄は無人風景の写真で埋め尽くされているのに対して、釜ヶ崎はドヤ街の様々な人物像を捉えた写真が羅列されている。釜ヶ崎の連作は1989年のフォト・エッセイ集『カマ・ティダ 大阪西成』から選り抜かれている。「カマ・ティダ」の意味について、本展のキュレーターである椹木野衣は、「カマ」は釜ヶ崎を示し、「ティダ」は沖縄の方言で太陽を意味し、それらを合わせて「釜ヶ崎の太陽」の意になるのではと推測している。展示作品の大半が日の出から日没までの太陽が出ている時間帯に外で撮られている。なかには建物やテントの内部を撮った写真もあるが、画面の何処かに外部と内部が完全に遮られていないところがあって、そこから太陽の光が内部を反映し、内部にある事物の像を浮かび上がらせている。夜中の焚火を撮った写真が1点あるのだが、焚火の炎は太陽の炎(プロミネンス)のイメージと重なり、焚火を囲む人たちが抱える絶望感や孤独感を炙り出しているかのようだ。

 《萩之茶屋(三角公園)》のタイトルが付いた写真作品は数点あり、そのうち1点だけ縦長の写真がある。その画面には真ん中で2つに分割された明瞭な構図を有している。画面の上方は剥き出しにされたコンクリートの上で夕陽を浴びた二人の幼い少年が玩具を手にしながらたむろしている様相であり、画面の下方はコンクリートより一段下がったゴミの散らばった土の地面があり、焚火の炎が画面下の大部分を占めている。上方と下方の境界にあたる中間領域には日雇い労働者らしき年配者が2つの木箱の上で、焚火に背を向けて横たわっている。このような縦長を上下に二分割した構図は、アルフレッド・スティーグリッツ の『三等船室』(1907年)の構図を彷彿とさせる。『三等船室』は船のデッキに掛かる橋によって二等船室と三等船室を分断する構造を顕在化し、様々な階層の人々(や様々な形態)を撮っている。この船は帰国する移民の船であり、アメリカでの生活を諦めて自国へ帰らざるをえなくなった移民がさらに2つの階層に分かれている(移民の階層化)。二等船室は人々が所狭しと窮屈に身を寄せ合っているが、その真上には空が明け放れている。一方、三等船室は人と人の間隔に余裕を持たせている様相であるが、橋の下の薄暗い場所で虚脱感を漂わせている。夢破れた者同士でも画面の上方と下方から受ける印象はだいぶ異なる。二分化した貧しい移民の構図だが、失意と貧困という主題のもとで画面全体に表象のさざなみが波及し、画面の断片断片に現れる様々な粒子がひとつも漏れることなく連動している。

 このように同じ二分割された構図の中に表象される主題の類似性と画面内における構造と運動の関係性が《萩之茶屋(三角公園)》の縦長作品に、やや違った形で見られる。画面の上方にある夕陽に染まる直前の空の開放感は『三等船室』の空と相対し、二人の幼い少年にいつかは訪れるであろう未来を隠喩しているが、少年と空の間を遮る錆びついた鉄柵と少年の足元にある精力ドリンクの箱は、二人の少年に訪れる未来の不確実性をも垣間見させてくれる。画面下部の燃え盛る炎は少年たちの直ぐ下に寝転がっているうらぶられた日雇い労働者らしき人物を燃やしているようにも見える。しかしながら、その人物と炎の構図は、絶望以外に何もない無残な人生のアレゴリーではなく、絶望しきった人の心を救済する煉獄の浄化を想起する構図としてある。なぜならば、炎に炙られる日雇い労働者らしき人物は、写真画面において二分割された画面の中間領域に位置し、天国と地獄の間に存在する生前の罪を償うための中間的世界=煉獄のイメージが重なっているからである。また『三等船室』の橋のポジションと重なり合っている。橋は分断としてのリアルが表象されているが、炎に炙られる人物はただそこに寝転がっているだけの抽象的な存在として写っている。砂守の社会の底辺にいる被写体に身を寄せた視線から生ずる、芸術と倫理の間を往来する強度が「希望/天国」と「絶望/地獄」を繋ぐ中間領域=生存する現在を起点にして、画面全体に遍在している。『三等船室』の画面には、被写体の様々なベクトルや配置関係が形づくる現実世界の構造がフラット(平準化ではなく同質化)に写っている。それに対して、《萩之茶屋(三角公園)》の縦長作品の画面は、画面下の炎から横たわる路上生活者、コンクリートの剥き出しにされた断層、玩具と戯れる二人の幼い少年、そして画面の最上部にある空へと突き抜ける垂直の運動が一本の太い骨格を形成している。現実世界の構造というよりは人間が生きることの何かに最接近したがゆえの帰結ということのほうが大きい。こう書いた途端に、大事な部分が欠落していることに気づいたのだが、それは炎の下にある〈大地〉のことである。

 〈大地〉とは、人間生活が営まれる空間であると同時に、人間の身体と精神を拘束する呪縛の空間としてもある。釜ヶ崎は周辺各地の社会底辺者が自ずと引き寄せられる絶望の大地であり、一度来たらそこからは出られなくなり、その日その場しのぎをしながら死と隣り合わせの日常を過ごす路上生活者の苦難の歴史が蓄積されている。釜ヶ崎の〈大地〉は路上生活者がゴミや野良犬とともに散在する光景を生み出しているが、広島、雲仙、沖縄の写真はそのほとんどが無人風景であるために、釜ヶ崎の写真より〈大地〉の印象をさらに強く残している。無人風景の写真構図の共通点として、どれも横長の形であり、画面の下方に大地、中間部に建物、上方に空の配置がベースになっている。建物内部を撮影した写真も床、壁、天井の配置が外部を撮影した写真の位置関係と対称し合っている。雲仙の写真では、土石流や大火砕流によって床の部分が土石や火山灰に覆い尽くされ、床に取って代わって大地の地面が非情にも支配している。窓や壁などが破壊され、火山灰に埋め尽くされた無残な姿ではあるが、柱などの骨格が残ったことで廃墟化した建物自体はその場に存在したままになっている。このような荒涼とした光景には画面分割比率を超えた次元で《萩之茶屋(三角公園)》の縦長作品や《三等船室》と同じ質の構図を読み取ることができる。画面下部=〈大地(床)〉、画面上部=〈空(天井)〉と二分割されていて、その中間領域には〈建物(壁)〉が存在している。被災地の建物は釜ヶ崎の路上労働者と同じように大地に深く呪縛されていて、大地が持つ過去とのつながりを絶つことができないまま、その場に記憶とともに置き去りにされている。広島と沖縄の写真にも同じ主題の構図を見ることが出来る。つまり、砂守の写真作品には苦難する人間や痕跡への一貫した視線とともに圧倒的に優れた空間構造を伴っていることがわかる。砂守勝巳はカメラの撮影行為によって太陽(=ティダ)の黙示録を世にひっそりと送り出したのである。