絵と物、線と棒、円と瓶

府中市美術館の『絵画の現在』展を観る。「現在」という言葉は時制としてのたんなる意味を剥ぎ取った時に絵画にふさわしい言葉なのだろうかと、ふと思いつきながら美術館に入る。エスカレーターを上り、入口近くまで進んでいくと右側と左側にスペースが分かれているのだが、歩調はスローダウンしたものの、立ち止まることなく自然に右のほうに寄っていく。利き手が右である僕の身体に蓄積した惰性的なものからくるのか、それとも右側のスペースにひろがる開放的な作品と空間の関係に目を奪われたからなのか、あるいはその他のことなのかを判断することはおそらく不可能であるのだけれど、諏訪未知の絵画(と少々の物体)から新鮮な感覚を得たことはまぎれもない事実であった。キャンヴァスの画面上では、三回転したスプリングのようでもあり、「W」の文字にみえなくもない記号が限定された配色をもって増殖的に繰り広げられている。直線や斜線の図形に絡まったり、円形の中もしくは半円形の周辺に置かれたり、あるいは一箇所に集められたりしている。幾分かリズミカルな記号はキャンヴァスの表面でうごめいているかと思えば、複数のキャンヴァスのあいだをとび跳ねるようにして自由に横断移動しているようにも見える。スプリングの記号は絵画のなかの表象としてしか現れないが、直線と斜線、円の形は絵画の手前にある物によって対応関係をあらわにしている。つまり、直線と斜線は黒い棒(素材は不明)の形、円は円柱型の瓶の底面から見た形と対応して描かれている。黒い棒を瓶のなかに入れて立たせている姿や何本かの瓶が厚みのある円形の板とそのうえにある瓶を支えている姿には、壁に掛かっているキャンヴァス(の状態)の重力に逆らう不自然さ(引力)とは対照的に床にしっかり接着し垂直に立っていることの力学が示す自然さが際立っている。物体をとりまく自然現象がキャンヴァスのイメージを確かなものにしている、その対応関係はシンプルな気持よさがある。絵画の前に控えめに置かれたそれらのものは作品制作プロセスのなかで、対象としてのオブジェクトと物体としてのオブジェクトが交互に入れ替わるようにして、絵画のイリュージョン性から距離を置くため(イメージの泥沼に陥らないため)の道具となっているのだ。簡略化(抽象化)した記号や図のイメージは日常生活とはかけ離れてはいるが、最終的には現実世界(たんに「現在」ではない、モノとイメージと私たちの根本的な関係)とリンクしている。やはりスプリングの記号もたんに見えないだけで、現実世界にある何か動いているもの(気体的なものなのだろうか?)であるに違いない。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/kikakuten/kikakuitiran/kaiganogenzai.html