「人間の行動」

オペラシティギャラリーで開催中の「絵画の在りか」展で気になった作家のひとりである小西紀行の個展「人間の行動」を見る。「絵画の在りか」の作品は、黒全体のモノトーンな色調であったが、個展では、うってかわっていくつかの配色があり、カラフルな作品が展示されている。だが、やはり真っ先に現れるのはのびやかで大胆なストロークだ。見る者の身体感覚に直接響く気持ちよさ(「絵画の在りか」では、高橋大輔の作品に質は違うが同じ身体的な気持ちよさがあった)があり、時としてつかみどころのなさからくる不安感に急転する。反対にあるふたつの感覚がぼんやりとくるくると入れ替わっているが、手前のゆらぎの奥には、何かがじっと佇んでいるような気がする。作品の背景にある気配が見る者の個人的記憶を呼びさますかのようだ。人物らしきものを形成するストロークは自由な印象をもたらすが、それとなく人物とわかる輪郭の枠のなかで不自由にもがいているようにも見える。人物というモチーフは絵画という基底につながり、キャンヴァスのなかのストロークとして純粋な絵画たるものがイメージのフィルターをくくり抜けて見る者のまえに現れてくる。小西のストロークはおそらく先にのせた絵具のまだ乾いていない表層をオイルをたっぷり含めた布かなにかで拭いとるという仕組みになっていると思う。つまり絵具をのせていくという足し算ではなく、拭いとるという引き算の構造が小西の作品を成り立たせている。キャンヴァスの空間は絵具の容器ではなく、事物(モチーフ、イメージ)のなかに絵画空間がある。事物の存在よって空間に変化が生まれる。モチーフは家族のようなものとしてあるが、小西の作品に描かれているのは個人としての人間であり、個人=人間という根源的かつ原初的な単位が永久不変にもつ持続(人間が人間としてあるかぎり)の強度が大胆なストロークによって表出されている。身体的に描くことは直観的に描くことでもある。
http://www.arataniurano.com/