映画の「内容」と「形式」について

前回のブログでも書いたことだが、最近は数十本の映画を短期間に集中して観ている。最近の映像媒体は始めから映画として創作するというよりも、動画として創作するという感覚のほうにウエイトがかかっているので、一概に「映画」と言い切れなくなっているよ…

映画表象としての手話とかなんとか

現在、訳あってろう者に関連する映画を立て続けに観ている。(「ろう映画」というカテゴリーを当てはめることはできるが、その該当範囲の広大さと定義のあいまいさがあり、一筋縄ではいかないところがある)。ろう者や難聴者が監督したのもあれば、聴者が監…

日常化する緊急事態宣言の現下における個人的な雑感あれこれ

オリパラ期間中に新型コロナウィルスの感染者数が急拡大した現下、休日や余暇時に映画館や美術館に全然寄れなくなってしまった。最近まではマスクをして観賞するだけなら大丈夫なんじゃないかという自己判断のうえ、映画や美術などを観に行くことは日常生活…

『夢の男』 KAAT 神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場企画製作の短編映像作品『夢の男』をYouTubeで見る。全4幕構成になっているのだが、4幕すべて同じストーリーが繰り返されている。1幕は聴者の俳優(大石将弘)とろう者の俳優(江副悟史)が2人並んで立っている。聴者は音声、ろう者は手話…

鈴木春信 『梅折る美人』

たまたま目にした美術作品にその場で一目惚れするというような経験は過去に遡ってもあまりないような出来事だと思うのだが、僕の場合は一目惚れというよりは、しばらく経ってからその美術作品のところに立ち戻って(あるいは記憶を辿って)、漸次的に惚れ込…

『ビーチ・バム − まじめに不真面目 −』 ハーモニー・コリン

ハーモニー・コリンの最新作『ビーチ・バム -まじめに不真面目-』を観る。『スプリング・ブレイカーズ』以来の7年ぶりの長編映画だが、パンデミックの最中に引っ提げてきたタイミングは、偶然でもなく必然でもなく、ただいつものように上映されることにい…

『 HHH:侯孝賢 』(1997)オリヴィエ・アサイヤス

『恋恋風塵』のワンシーンが映った時、思わず懐かしい感情が込み上げてきた。台湾の田舎に残る昔ながらの日本的風景というのではなく、古今東西の映画を観まくる若かりし頃の映画生活を始めるきっかけになったのが『恋恋風塵』だったという、昔の映画的記憶…

『新学期操行ゼロ』 ジャン・ヴィゴ

フランソワ・トリフォーのデビュー作『大人はわかってくれない』が世に出るきっかけとなった映画とも言われているのが、ジャン・ヴィゴの『新学期操行ゼロ』(1933年)である。無政府主義の活動家の父を持つジャン・ヴィゴはドキュメンタリー2本と劇映画2本…

『シチリアーノ 裏切りの美学』 マルコ・ベロッキオ

シチリアマフィア界の大物幹部やファミリーが勢ぞろいする夜の煌びやかなパーティ。表向きは穏やかな雰囲気を醸し出しているが、パーティを名目にしてマフィア組織の二大勢力の仲裁を試みるパレルモ派大物ブシェッタは会場の随所に不穏な空気を感じ取る。建…

《 千葉正也 個展 》東京オペラシティアートギャラリー

東京オペラシティアートギャラリーで開催中の《千葉正也個展》を観る。会場の展示室を全てつなぐ空中通路は千葉が飼っている亀を放し飼いするために木材で組み立てられている(どこかに居たかもしれないが、僕は不運にも亀に出会うことはなかった)。素材丸…

『夜光雲』 大山エンリコイサム

所用のあった川崎から南武線で引き返さずに京浜東北線で横浜に南下移動し、山下公園の入口の向かい側に建つ神奈川県民ホールにまで足を運んだその目的は、大山エンリコイサムの個展『夜光雲』を観るためであった。地下1階からの順路になっている、最初の同…

戯曲『三文オペラ』

演劇に革新をもたらした劇作家として知られるベケットとブレヒトは、名前の語感が似ているのかわからないけれど、演劇に疎い僕のなかで両者の区別があいまいになることがたまに起こる(僕だけか)。その際、ベケットと言えば、『ゴドーを待ちながら』の作者…

『ある画家の数奇な運命』

ナチスの頽廃芸術展のシーンから始まる、本作はゲルハルト・リヒターの芸術人生をモチーフにしている。美術をかじっている者にとって、一画家の人生のターニングポイントと20世紀美術史の要点が入り組んだ見事な映画的構成に多少たじろいでしまう方も少なく…

『行き止まりの世界に生まれて』

家庭に居場所がない3人の若者がボードに乗ってロックフォードの寂れた街中を縦横無尽に駆け抜ける、流動性あふれる映像は3人のうちのひとりであるビンがスケーター仲間と一緒に走りながら撮っている。スケートボードが走り出す自由自在な空間が彼らの唯一…

『パブリック 図書館の奇跡』

壁一面ガラス張りの前で裸になって歌を歌い、突然パタリと倒れた男性の裸体は腹回りや脇下に多くの贅肉が付き、背中にタトゥーが彫られている。その人だけが持つ唯一無二の身体性が剥き出しになっている。場面転換時のインサートとして、レファレンスサービ…

アンジュ・ミケーレ 「イマジナリウム」

柔らかなシルバーの支持体に、やはり柔らかな筆使いが軽やかなイメージを浮遊させている。白色の蛍光灯がホワイトスペースの天井や壁全体に反映した真っ白な空間のなかで、シルバーの支持体は背景の壁に溶解されかかっているが、丸の形を筆頭に大胆なストロ…

東松照明 「プラスチックス」

南麻布のMISA SHIN GALLERYへ東松照明の写真展を観に行く。展示タイトルは『プラスチックス』。3月に鑑賞した砂守勝巳の写真展で展示スペースを歩き回っている間、どういうわけか頭の片隅に東松照明のことが浮かんでは消えたりとずっとチラついていた。東松…

『ジ・エンド』

ろう学校のあるクラスにて、4人のろう児がインタビューに受け答えすることからこの映画は始まる。4人のうち、アーロンだけが映画の最後までインタビューを受けることになり、アーロンの1987年から2046年までの人生に焦点が当てられている。過去から未来(…

砂守勝巳《 黙示する風景 》

原爆の図 丸木美術館で開催中の(5/10まで会期延長されているが、現在臨時休館中)、砂守勝巳《 黙示する風景 》は、釜ヶ崎、広島、雲仙、沖縄の四つの地名が名付けられたテーマごとに構成された展示になっている。広島、雲仙、沖縄は無人風景の写真で埋め尽…

『山の焚火』

《ネタバレご注意ください》 雄大な山々が連なるアルプス山脈を間近に眺めわたすことのできる山腹で人々から隔絶した生活を送る4人家族。最小単位の家族共同体のなかで耳の聞こえる両親と姉の3人が日常的に言葉を交わし合うなか、耳の聞こえない聾唖者の弟…

『フォードvsフェラーリ』

マット・デイモン演じる元レーサーでフォードから途方もない依頼を受けるカーデザイナー、キャロル・シェルビーがル・マン24時間耐久レースのレーサーとしてスカウトしたケン・マイルズは気性の激しい人物として描かれている。その一方、口を半開きにして間…

『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』

『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』を観る。個人的には、シャーリーズ・セロンをスクリーンでお目にかかるのは『ヤング≒アダルト』(2011)以来なのだが、誰もが認めざるをえない美女であるにもかかわらず、登場人物の役柄への万能ぶりが再び強烈…

女と男と女、と少年

『パリの恋人たち』を鑑賞する。東京国際映画祭(ワールド・フォーカス部門)にて上映された時の邦題タイトルは『ある誠実な男』だったらしいが、小っ恥ずかしいタイトルになっているのは、「パリ」と「恋人」の文字を組み合わせれば、ある一定の観客数を見…

松本竣介 − 街歩きの時間 –

国道122号線を通り、交差点を右折して渡良瀬川に架かる錦桜橋に向かう時、急峻な山々に囲まれた桐生市の街全体がパノラマ風景のごとくフロントガラス越しに出現する。桐生市特有の風光明媚な地形は何回来ても素晴らしい。山の麓にある桐生市の大川美術館では…

続々・「表現の不自由展・その後」

あいちトリエンナーレ2019は閉幕一週間前にテロ予告や脅迫によって中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」展の再開に辛うじてこぎつけた。再開初日の10月8日は午後2回の入れ替え各30名の定員を設定し、再開以降は抽選によって入場を制限したほかに、…

続・「表現の不自由展・その後」

萩生田光一の文部科学相就任によって、《表現の不自由》は完成された。「あいちトリエンナーレ2019」への補助金(7800万円)を交付しないことを決定したからだ。「ガソリン缶を持って行く」の脅迫・テロ予告ファックスから河村たかし名古屋市長視察による《…

「表現の不自由展・その後」

あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現と不自由展・その後」は政治的圧力や脅迫によって中止に追い込まれた。慰安婦をモデルにした『平和の少女像』の作品が最大のターゲットになったのは周知のとおりである。この企画はタイトルからもわかるように、2015…

ジュリアン・オピー

東京オペラシティアートギャラリーで「ジュリアン・オピー」展を観る。僕が美大生だった頃は、YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)の登場が世界中の美術界の話題を席捲していた。60年代生まれのダミアン・ハーストやダグラス・ゴードンらの(当時の…

『雪夫人絵図』

映画を観に映画館へ行くタイミングがなかなか取れない代わりというわけではないが、本棚の中に長らく埋もれていた未見のDVD、しかも世界のミゾグチ、溝口健二の「雪夫人絵図」(1950年)というインパクトで、観るのなら今しかないでしょ!のモードに入り、や…

『不良少女モニカ』

北欧が生んだ世界的巨匠、イングマール・べルイマン監督の1952年作品。89歳で亡くなったベイルマンは遺作にして最大の野心作である「サラバンド」を85歳で撮ったのだが、驚異的な頭脳、肉体をもった監督としか言いようが無い(70歳を過ぎてから1年に1作のペ…