《 千葉正也 個展 》東京オペラシティアートギャラリー

 東京オペラシティアートギャラリーで開催中の《千葉正也個展》を観る。会場の展示室を全てつなぐ空中通路は千葉が飼っている亀を放し飼いするために木材で組み立てられている(どこかに居たかもしれないが、僕は不運にも亀に出会うことはなかった)。素材丸出しの木材等で形成される仮設の風景は現代アートシーンではよく見られる展示風景(展示方法)のひとつになっているが、今までに観てきたそのような美術館やギャラリー内で行われる仮設的展示に少なくとも感じざるをえない「現代美術はこういうこともやるんですよ」というような、慣習的になっている展示の常識に逆らう(時代の最前線に立つ?)芸術的意識を感じることはあまりなかったように思う。仮設的展示もひとつの慣習に落ちつく宿命から逃れることはできないが、この仮設の風景は従来の展示や形式に対する方法論的な新しいアプローチという次元の枠に収まりきれない別のリアルな何かがその風景を形作っているように感じる。その何かというのは、やはり千葉の絵画作品に描かれている表象に内在しているのであり、絵画の表象自体の二次元と絵画のモチーフになる千葉自ら制作するオブジェや身の周りの道具や日用品等の三次元が交錯する入れ子状態が会場全体にまで延長拡大されている。絵画に描かれる仮設の風景をメタ的に展開していると言っていいかもしれない。亀は当然生き物として動くがゆえに延々と続く空中通路が設られているのだが、その空中通路の左右に配されている数多の絵画キャンヴァスの裏面の木枠やベニヤ板が仮設的な木材群と質感的にも色彩的にも一体化し、観る者に自然発生的なカオス状態を剥き出しにしている。何点かの絵画作品は壁に展示してあるが、出品作品の大半はイーゼルを模した木材の組立の力を借りながらそれぞれ屹立し(林立し)、壁面から離反した状態を保持している。絵画展示空間における、観る者の視線の反転に今までとは異なった新しい身体感覚を覚える。千葉は以前から絵画や彫刻、インスタレーションのボーダーレス化を実践してきている。そのような仕事をするアーティストは他にもいるが、千葉は絵画を起点とし絵画に再帰することに終始している。彫刻(オブジェ)や組立品を制作し、日用品、道具、写真、映像等をテーブル上でコンポジションし、それらのモチーフを精巧な筆致で描き上げる。そのプロセスで浮上してくるのは驚異的な手数(手仕事)の豊穣さであり、それによって出来上がる絵画上のイリュージョンでさえ、絵画外の手仕事によってはぐらかされてしまう状況、二次元と三次元(画面内のことなのか、画面外との関係なのか、もう区別できなくなっている)、非実体と実体が互いに騙し合っているような状況でもあり、卓越な描写技術に感心したり、シュールさを面白がったりしているあいだに、観る者の現実と虚構のバランス感覚が常に揺すぶられている。そこにはある種の気持ち悪さがともなってもいる。絵画イメージの錯覚が仮設の空間を経て現実のリアルな錯覚につながるという、多少の混乱が発生したりもするが、一方で現実の日常生活に置き忘れた自由な感覚を取り戻せる気がするようでもある。たぶん粘土だと思うのだが、粘着性と可塑性を有する物質を使って平面上に形態を盛り上げて図像を表したオブジェをモチーフにした絵画作品が何点か展示されている。レリーフ状のモチーフも例外なく精巧な写実描写が施されているのだが、遠近感のない平面的に均された表象イメージには、千葉の他作品にあるイリュージョンとはまた違う感じである。絵画上の錯覚の効果を抽象表現主義のベクトルに向かわせるユーモアや機知に富んだ絵画の空間認識に僕は思わずニヤリとしてしまうのである。

https://www.operacity.jp/ag/exh236/

https://jj-three-ten.hatenablog.com/entry/2019/01/30/232825