今井俊介 スカートと風景 / 東京オペラシティアートギャラリー

 東京オペラシティアートギャラリーにて「今井俊介:スカートと風景」の展示を観る。会場内に設置されているディスプレイのインタビュー映像で、作家本人は絵画とデザインの境界の曖昧さについて語っている。ある時にふと何気なく目にした知人の揺れるスカートの模様にインスピレーションを受けたという今井は、ストライプの模様とカラフルな色彩を組み合わせた同一イメージあるいは同一モチーフを画面(平面)空間の中でヴァリエーション的に展開している。ろう者の僕が音楽用語を使うことの倒錯はひとまず横に置いとくとして、「終わりなき変奏」の修辞的表現を口にしたくなるような印象が観賞の始終、僕の視覚を支配していた。今井の作品は、アクリルによるカンヴァス作品、ポリエステルや布などの生地系の作品、インクジェットプリントの作品といった3つのパターンに分類することができると思うのだが、反復する同一イメージの反面、マテリアル(材質等)の差異がマチエール(肌ざわり等)の差異につながることの物質的直接性といった感触をも受ける。マテリアルの差異を超越するストライプの反復性や独自の色彩感覚が今井の作品の本質であることは言を俟たないのだが、イメージを形成する物質性の侮れなさと揺るぎなさも同時に存在している。インクジェットプリントの表層性とアクリルのタブロー性のあいだには、デザインと絵画の境界の曖昧さがすっぽりと嵌め込まれている。制作風景の写真が展示の一部として公開されているので、今井がどのように作品を制作しているのかを多少知ることができる。パソコンで組み上げた図柄をプリントアウトし、そのプリントを歪ませた状態にしてそれを撮影している。プロジェクターで拡大照射された図柄の輪郭をカンヴァス上でなぞっていく。つまり二次元が三次元を通過し、再び二次元のイメージを獲得するようにして、カンヴァスにデジタルとアナログの両方の手作業のプロセスが刻印されている。ポリエステルや布の作品の展示形態は三次元的だが、あくまで二次元性を帯びた作品にとどまっているのである。ストライプとドットが交錯する平面構成と色彩感覚を前にする際、ジュリアン・オピーとジム・ランビーの作品が何故か僕の頭の隅をよぎってくる。明確な輪郭とコントラストの強い色彩によるフラットなイメージを展開するスタンスに共通なものを感じるが(ジム・ランビーは床の作品に限るけれど)、2人のイギリス人アーティストの現代社会や日常的環境といった側面の多層的な言及性からくるダイレクトな要素やイメージ感覚は今井の作品にはあまり見られず、むしろ無縁であるとさえ言ったほうがいいかもしれない。ダイレクトなイメージは平行的イメージ(フラットの徹底化)であり、政治的バックグラウンドを引き寄せるクールダウン的な要素をともなっている。それにたいして、今井の垂直的イメージ(奥行き)と色彩感覚にはアジア的なカオスとオプティミスティックな純粋性を含有しているように感じる。ジュリアン・オピーとジム・ランビーは日常生活とアートの境界を曖昧にしているが、今井の作品はあくまで画面空間における絵画とデザインの境界の曖昧さにとどまっているような気がしないでもない(念の為だが、否定的な意味で言っているのではない)。インタビュー映像に戻るが、「勝手に変わっていくものを自分で発見できるかどうか」の今井の発言には、現代社会に溢れる視覚イメージから昇華した純粋な絵画性(あるいはデザイン性)にどこまで接近できるかといった、クラシカルなスタンスの一端が窺い知れるように思う。