《 Class War , Militant , Gateway(階級闘争、闘争家、入り口)》 ギルバート & ジョージ

 表参道にあるエスパス ルイ・ヴィトン東京で、ギルバート&ジョージの1986年に制作された3連作、《 Class War , Militant , Gateway階級闘争、闘争家、入り口)》を観る。照明を下げたやや薄暗い展示空間に入った際、すぐさま3つの壁面全てを覆い尽くす大型の平面作品に圧倒される(プリント作品の保護から照明を下げたと思われるが、明るい空間で観れなかったことは大型作品なだけに残念な気持ちが残ってしまう。会期の延期にともなう処置なのかもしれず、やむを得ないことは承知しているつもりだが…)。写真を使った作品であることは一目瞭然ではあるが、白黒の下地に赤、青、緑の三原色と人間の肌色のみが直裁的に配色されたフォトモンタージュを黒枠の細分化された格子状の構成に配置する鮮やかなイメージは、写真を使った作品というよりはステンドグラスの作品に近い印象をうける。人物、都市風景、植物の3要素のみをコラージュした画面のイメージは全て黒枠の格子状に上から被せられている(切り取られている)が、モチーフのそれぞれの形を縁取った黒い輪郭の強度が縦横に整列された黒枠の秩序をはるかに上回り、画面上でのイニシアティブを取っている。その力強いイメージを生成する黒の輪郭はなかでも人物において最大の効力を発揮している。タイトルに示されているように、3連作のテーマは言うまでもなく「労働者」=「人間」に集約されている。タイトル名や都市風景に映る群衆と喧騒のイメージに加えて、制服姿の人物群のモチーフからは明らかに労働者のイメージが表象されているが、ギルバート&ジョージの作家本人を除く人物は全て中高年ではなく少年に近い若者たちである。社会の厳しさにこれからぶつかっていくという初々しささえ感じるような若年層のモチーフには、労働者への真正面的対峙というよりは、ポップカルチャーやファッション文化へのシンパシーが前景化され、軽やかなアイコニックとして打ち出されているが、その裏では作家の少年愛嗜好が見え隠れしているような気もしないではない。制服姿の若者たちの溌剌したイメージの背景には、英国の階級社会における若者たちの閉塞感や停滞感が付随している。低い社会的地位や社会階層の固定化に甘んじられた若者たちの身分性から自由と解放を求める様々なポーズが黒枠に収められたクリアな像として、時にはコミカルな像として観る者に迫ってくる。「生きた彫刻」のパフォーマンスを行なってきたギルバート&ジョージにとって、ポーズは重要な意味をもつのである。若者たちが持つ、手に入れた自由の象徴としての棒が赤に配色されていることの表象性は、社会的リアリティと芸術審美性が見事に合わさったことの表れでもあるといえよう。《 Gateway(入り口)》では、画面の両端に立つギルバート&ジョージもその棒を自ら持って、若者たちが出入りするゲートの役割を担い、若者=労働者=大衆を見届けている。