続々・「表現の不自由展・その後」

 あいちトリエンナーレ2019は閉幕一週間前にテロ予告や脅迫によって中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」展の再開に辛うじてこぎつけた。再開初日の10月8日は午後2回の入れ替え各30名の定員を設定し、再開以降は抽選によって入場を制限したほかに、入場者に金属探知機による検査や身分証の提示を求めるなど、厳戒態勢の模様だった。「表現の不自由展・その後」展だけがフィーチャーされてしまったが、いうまでもなくあいちトリエンナーレ2019の中心に「表現の不自由展・その後」展があったのではない。言い方は誤解を受けるかもしれないが、とばっちりを受けた他のアーティストは脅迫、テロ予告によって中止になったこと自体に抗議の意を表明しボイコットした。「表現の不自由展・その後」展の再開に際して、ボイコットしたアーティストも全員戻ることになり(会見での津田氏発言「全作家さんが戻ってきてくれたことが一番嬉しい」)、あいちトリエンナーレ全体が一週間を残して再オープンするにいたった。実行委員長の大村秀章知事や芸術監督の津田大介をはじめとした関係者たちは息つく間もない極限に近い状況で東奔西走し、再開に向けて最大の努力をしたことには敬意を表せねばならない。そして、何よりもあいちトリエンナーレ2019の参加アーティストに限らず、この騒動に大小の関心を持って見守った世間のアーティストたちというか意識の程度を超えたあらゆる表現を持った人たちが「表現の自由」という人類的なテーゼによってつながり、様々なアクションやレスポンスが同時多発したことがせめてもの救いや希望になりうるものだったように思う。

 2つ前のブログで僕は中止を決断した津村氏に対してやや否定的に捉えるようなことを書いたが、「表現の不自由展・その後」展のような企画は美術畑ではないジャーナリストの津村氏だったからこそ実現できたという面は強調しすぎることではない(表現の不自由展実行委員会の企画ではあるが、あいちトリエンナーレへの提案者および最終決定者としての津村氏)。というのも日本に限ってのことかどうかはわからないが、公立を中心とした各々の美術館で表現の規制が着々と進行している現状のなかで、芸術の持つ抽象性や間接性(または中立性)に紛れて政治的表現などデリケートな問題から距離をおこうとする美術界の内側にいる人たちにはなかなか出来ない(やろうとしない)ことだと思うからだ。このよう人たちは会田誠の作品を外した表現の不自由実行委員会のプロレタリアアート的な真面目さとそりが合わないのだろうと思うが、津田氏はその政治的スタンス(と現代美術の関係)のマイナスさをも受け入れつつ実現に向かっていった。結果的に前代未聞な芸術祭になってしまったけれど、津村氏の愚直ともいえる試みは社会全体を芸術の原点に向かわせ、アートが社会実験として機能した稀有な出来事として後々まで語り継がれることになるだろう。

   表現の規制は様々な事例があるが、政治に由来するタイプと「わいせつ」に関わるタイプの2つに大きく分かれると言っていいだろう。あいちトリエンナーレ2019の会場のひとつである愛知県美術館では、鷹野隆大の男性の裸体を撮った作品が鑑賞者による警察への通告によって展示変更を余儀無くされた事件が発生している(2014年)。このような事例もあり今回の展示に当たって色々な事情が絡んでいたと想像するが、「わいせつ」に関する作品も展示されてしかるべきだったように思うが、今の日本ではほとんど不可能に近い(逮捕者が出てしまう)。だが、「表現の自由」の核心を支える両輪の片方が外れた印象を免れえないし、「わいせつ」は世界における日本の後進的な問題だからである。公と私、政治と芸術は表裏一体であり、どちらかが欠ければ表現の脆弱化へとつながっていく。そして、鑑賞者は想像することをやめ、難癖だけをつけるようになる。もはや検閲や表現の規制は公権力だけのものではなく一般市民のものにもなりつつあるのだ。