鈴木春信 『梅折る美人』

 たまたま目にした美術作品にその場で一目惚れするというような経験は過去に遡ってもあまりないような出来事だと思うのだが、僕の場合は一目惚れというよりは、しばらく経ってからその美術作品のところに立ち戻って(あるいは記憶を辿って)、漸次的に惚れ込んでいくパターンが多いような気がする。ところが最近、印刷物の図板ではあるが、一目惚れと認めざるをえないような作品に出会ってしまった。その作品とは、浮世絵(錦絵)の鈴木春信作『梅折る美人』(明和4 - 5年頃)である。他人の屋敷(?)の、模様が規則正しく並ぶ土壁を越えるようにして掛かる白梅を手折ろうとする少女が画面の主題として描かれている。裕福な身なりの感じであり、上品可憐な着物を纏った少女は侍女らしき人物の肩の上に乗っているのだが、その二人の女性を上下に重ねる構図の美しさに僕は一目惚れしてしまったのである。侍女の着物の大半を配する、やや濃いうぐいす色(印刷図板なので実際の色とは違うかもしれないが)と少女の着物の振りや上前あるいは下前の桃色とともにある模様の一部のうぐいす色が互いに連なるようになっていて、二人の着物の流線が白梅に向かって上昇するはかなげな調和性が美しい。だが、その上昇するユーモラスなイメージには少女の重りに耐える侍女の地味なうぐいす色から自由気ままに白梅に触れようとする裕福な少女の華やかな桃色へと自由への度合いが色のグラデーションによって変化していく、身分階級のリアルな関係性といったイメージが表裏一体になっているようにも見える。浮世絵特有の軽やかな平面性とのっぺりとした人物の表情はそのような階級関係を強調することなく、華やかな着物の流麗さと土壁の無機質さだけが対比構造的に描き出されている。少女と侍女の着物が絡み合う融合的様相から現れ出る一体化は、おそらく同年代であろう二人の身分の違いを越えた(白梅に対する)感性の共有をも浮かび上がらせている。その徹底した表層性は視覚的悦楽と日常(季節)的感性を最上に置いている。江戸時代の花見は桜ではなく梅だったらしい。桜をあまり好きになれない自分の(ひねくれた?)感性がこの作品に一目惚れした要因のひとつにあるのかもしれない。

https://ukio.jp/catalog/medium/u285/