『河内山宗俊』

 28歳で戦病死した山中貞雄はわずか5年間の監督生活で、発表された作品は全26本とけっこうな多作である。しかし、そのうちまとまった作品として現存しているのは、『丹下左膳余話 百万両の壺』、『人情紙風船』、『河内山宗俊』のたった3作品しかない。そのひとつ『河内山宗俊』は以前友人にDVDをプレゼントしてもらって以来、ずっと開かずのままで放置したままだった。最近、日々の雑務で頭が疲れてきたので息抜きにでもと思い、たまたま本棚にそのDVDを目にした際に『河内山宗俊』を観る機会がついにというか、不意に訪れてきた。期ぜずして日頃の疲れが吹っ飛ぶほど、絶妙なショットの連続と山中の世界観にのめり込んでしまった。

   甘酒を売る茶屋の娘お浪は当時15歳の原節子(初々しい!)。お浪には弟の広太郎がいるのだが、相当な世間知らずの不孝者で姉が身売りにやられてしまうほどの破滅行為を繰り返す。弟の行方を心配するお浪の健気さに心を奪われる情けない無頼派の2人、賭博屋を経営する河内山宗俊とヤクザの浪人金子市之丞。つながりの必然性も血縁関係もなく、ただ市井のなかで縁を持っただけにすぎず、美しい娘に惚れたよしみで、か弱い姉弟2人を全力で救おうとする義侠心。その不合理さや可笑しさが、圧巻のクライマックスを呼び起こすのだから、驚異の映画体験とでもいうしかない。序盤の軽妙なセリフ(コメディあり、粋な言い回しあり、名言あり)が散りばめられた、固定ショットの多用から終盤の唐突に出現する移動撮影とエキサイティングな殺陣シーンへの転換にはただただ圧倒される。お浪が広太郎をびんたした後の雪が降るシーンの神聖さは何度見ても美しい。他にも金子市之丞の投げ捨てた爪楊枝の決意あふれるショットや広太郎が幼じみの女と一緒に身投げした時の波紋の悲運的ショットなど、どれも神が降臨したような高尚さに身震いしてしまう。既成観念から逸脱した人間観と熟知したカメラワークでアンチヒーローの精神を存分に発揮した傑作。