《 いつもとなりにいるから −日本と韓国、アートの80年− 》:横浜美術館

 隣国同士の日本と韓国のアート作品が一堂に会した展覧会《いつもとなりにいるから −日本と韓国、アートの80年−》を観に行く。全体的に総花的な印象を受けたが、日本と韓国のアート交流の歴史をおさらいする機会を得られたことが何よりも大きかった。日本人としての僕には思想、感性、表現に東アジア的な共通性を感じたり、「近くて遠い」的な埋められることのない大小の差異に直面したりするなど、なかなか見応えのある展覧会だったように思う。サブタイトルや展覧会概要について少し気になったことだが、夫に付き添って北朝鮮に渡った日本人妻あるいはその不在などを撮った林典子の写真作品、在日朝鮮人3世の李晶玉の絵画作品、武蔵美と朝鮮大の「突然、目の前がひらけて」プロジェクトが展示されていること(他にも該当作品はあったかもしれないが)を考えれば、「日本と韓国」というより「日本と朝鮮(半島)」の表記がしっくりくるような気がしないでもない。本展は日本の横浜美術館と韓国の国立現代美術館の共同企画であり、相対的に韓国人作家の作品が圧倒的に展示されている状況からも「日本と韓国」の括りにそれなりの一理を認めざるをえない側面はあるだろう。そのように受け入れざるをえない諸事情や「北朝鮮」という表象の不在は、日本と二国に分断された朝鮮半島における複雑な時代背景や関係性があり、両方のあいだには共同体(民族)レベルから個人レベルまでにわたって政治的情況や歴史的事情(感情)などが錯綜している。だが、日本と韓国(朝鮮)のアートを通じた交流は複雑な歴史的背景を互いに抱えながらも切磋琢磨した友好関係があり、そのような関係を隅々まで感じられるような展覧会でもあったと思う。つまり外野をよそに両国の美術界は健全な人間関係が築かれていたのである(あくまで本展の鑑賞の範囲の限りで)。ところで、本展のみならず過去から時系列で辿る昨今の美術展は大体、絵画や彫刻から始まって映像やインスタレーションで終わる、あるいは作品同士の距離が広がる(単独スペースを与えられるなど)パターンになっているように思う。しかしながらそのようなパターンを展開する展覧会においては、序盤の作品群が所有する物質の支持体の上で繰り広げられる一つひとつのイメージから受ける確かな手応えや興奮が表現の多様化にともなう様々な表現メディアを通過するにつれて徐々にトーンタウンしてしまう。これはあくまで僕自身の興味や体調の問題、あるいは価値観の相違などから生じていることは事実としてあるが、それらを踏まえた上でこうも考えてしまうのである。美術館の空間で時系列的な展示構成(通史的なテーマ)が展開されるさいのアーカイブの強み(時間が蓄積した存在感)とマテリアルの魅惑さ(物質的存在感)が持つイニシアティブに、映像作品やインスタレーション・アートあるいはテクストの要素を散りばめた複合的作品は分が悪い立場に追いやられてしまう側面はあるのではないかと。つまり絵画や彫刻のような堅固な(古典的な)支持体の無時間的かつモノとしての存在に一対的に接するさいに生じる密着的であり唯一無二な知覚体験が(ベンヤミンのいう「アウラ」的な現象)、後に続く時間を有する映像作品(特にループ系)や空間全体に自身の感覚が拡散されていくようなインスタレーション・アートあるいはスケール大の作品に即時に(時間を置かずに)切り替えられてしまうことは人間の知覚体験(体感)に大きなズレが発生してしまうように思えてならない。あるいは逆に一定の評価を不動のものにした古典的作品の羅列から現代的な感覚を催されるような最近の様々なバリエーションを持った作品群に移行するさいにある種の解放感を感じる人もいるかもしれない。どの辺りに発生しているかは断定できないが、ある種の分断的なものが展覧会の内部に潜在している。鑑賞者の受け止め方は様々が、それだけ甚だしい変化が美術作品に起きていることが通史的な展覧会であるがゆえにわかりやすい形で露出されていると言えるのではないかと思う。話が逸れてしまったが、個人的にはChapter3の〈ひろがった道−日韓国交正常化以後〉の最初の展示空間にある絵画作品群に大きな興味をそそられた。李禹煥の《風景(Ⅰ・Ⅱ)》の作品にはぶったまげた。1968年の当時作品を2015年に再制作した作品が展示されていて、当時の3点組ではなく2点組に縮小されている。それでも、キャンヴァスに単一色でスプレーペイントされた蛍光色のピンクとオレンジはまともに対面できないくらいの強烈さを発散していた。ハレーションを有する絵画は画面のイメージに意識を向かわせるのではなく、絵画と鑑賞者の関係を取り巻く空間そのものに意識を向かわせようとしている。そのような絵画を超えた知覚体験を鑑賞者にもよおすことは知覚と空間にたいする問題提起から生じ、李禹煥の他の作品から受ける印象とは大きく異なるが、やはり李禹煥の制作姿勢の一貫性が感じられるのである。蛍光色の2点組の向かいには関根伸夫の立体作品《位相 No.13》(1968年)が展示されているのだが、その筒のような形をした作品も蛍光色まではいかないけれど鮮やかな赤と黄色がラッカーで塗られている。視覚に強い刺激を与えるハレーションのある李禹煥と関根伸夫の両作品が対面する場はもの派に関する作品展示の中でもなかなか機会がない貴重な組み合わせではなかろうか。李と関根の作品と同じ展示スペースにある朴栖甫《遺伝質1-68》、河鍾賢《都市計画白書》、劉永國《山(南)》、あと、三角パネルの絵の具を垂らした作品(作者とタイトルを確認できなかったが、全晟雨《セクソン曼荼羅》かな?)などの1968~1970年に描かれた抽象絵画作品は1970年代に発展した韓国独自の抽象表現の「単色画」系作品とは対照的に様々なカラーが使われていて、1950~60年代に発展したアメリカ抽象表現主義の影響が見られるようでなかなか興味深かった。どれも1m×2m前後のサイズに収まっていて、アメリカ抽象表現主義の巨大作品のキャンヴァスサイズとは大きな隔たりはあるが(アメリカと韓国の国土における相違との関連性はあるだろう)、抽象イメージには同じ質や類似性が通底しているように感じないでもない。朝鮮戦争以後の韓国社会におけるアメリカ文化の影響がそのようなカラー系の絵画イメージを生み出した可能性はあるかもしれないが、朴栖甫の《遺伝質1-68》が民俗衣装の白・青・赤・黄・黒の伝統色彩を構成したコンポジション絵画であるように、西洋文化の受容と韓国文化の探求が交錯した複雑な影響関係が内在してもいる。朴栖甫がカラーのある抽象表現からリズミカルに鉛筆の線を走らせたモノクロームの抽象表現(エクリチュール・シリーズ)に転向したのは1970年代初頭であり、その時期を境に韓国の抽象表現は東洋的な精神性につながる「単色画/ダンセッファ」へと移行していく。