「バベル」

ロッコ、メキシコ&アメリカ、日本の風景がタイムラグに編集されていく。
3つの物語は一見全然無関係のように見えて、実は全てが運命とはいわず悪魔の赤い糸が繋がっており、絶望の淵まで下降線を辿っていく。世界規模のスケール感がそれぞれの「個」である人間を小さく見せるが、この映画は、そんなちっぽけな人間たちの必死にもがきながら生きようとする姿を最大限に画面におさめようとする。「個」である人間はそれでも「他人」と隣り合わせに生きていかなければならない。現代社会は高度情報化社会になったにもかかわらずコミュニケーション不全の社会になっている。普通に生きる人間が権力側の相手に少しでも触れようもなら、そこは過剰な反応によって人生のどん底に陥ってしまう。これは、映画内の大げさなことではなく、現実にある出来事なのだ。人間は孤独でぎりぎりのところで生きている。そんな絶望にも近い状態に生きていかざるをえない人間たちにはこの映画のラストがそうであるように、「愛」という名の出来事が最後の救いであると、この映画の監督は我々に示しているのだろうか?
ろう者である僕は、やはり日本編の菊池凛子や他のろう者達の演技に注意深く向けざるをえなかった。巷ではろう者の役を聴者が演じるのはいただけないとか、やっぱりろう者の役はろう者がやるべきだとかの声が上がっていたようだが、この映画を見て、僕は断言する。菊池の演技は素晴らしかった。もちろんろう者の役はろう者本人がやるのがベストであることの考えには変わりない。だが、菊池の演じるろう者像は現代に生きるろう者のありのままの姿と見事に重なっていたし、手話の一つ一つの動きやろう者がもつ表情の表現からは、菊池の才能や人並み以上の努力が垣間見えてくる。他のろう者本人の演技も日本手話だとか日本語対応手話だとかどうのこうのより等身大の自分をさらけだしていて、見る側に差し迫るものがあった。