「NOISE」

すげー素晴らしい体験をさせてもらった。いやー、爆音って素晴らしい!!!僕にとっては、聴覚のかわりに視覚と触覚の融合で音楽の醍醐味を大いに味わわせてもらった。アート・ロック・フェスティヴァル出演者のステージ映像とアサイヤス監督のカオスなイメージ映像が交差するところに爆音がひっきりなしに座席を揺すぶらす、この刺激的な空間に2時間近くもいられたことがこのうえもなく至福であった。巷ではソニック・ユースの音楽は難解だと云われているそうだが、音の分別が出来ない僕にとっては何のことかわからない。2組のユニットに分かれた演奏場面を見ていると、どちらも即物音即興で、楽器や道具をいじったりして音そのものと戯れているように見えるが、そのような行為を爆音のなかで凝視していると、僕の頭のなかにある先入見や固定観念などを全て取っ払ってくれるような気がする。音楽マニアを恐れずに云えば、ろう者だって音を楽しむことはできるじゃん!と思えてしまう。ろう者が音を楽しむには、「音の根源」=ノイズ(boid paperからの引用)に触れるのが一番じゃないかと思う。しかし、よく考えてみれば、ろう者も補聴器を付けている時、ノイズをがっぷりと体験しているのだ。普段はうるさいのでほとんど外しているが、たまに付ける時に街なかのざわめくノイズに快感を感じることがある。「音の根源」=ノイズは、ろう者と聴者、人種、国境の垣根を越えた人間そのものの原状態に遡らせてくれる。補聴器を付ける時の受身体ではなく、この映画の出演者のように能動体にして、自らノイズを発生してみるのも悪くない。いつかやってみたい。ろう者にとっての音は「響音」(または「振動音」=バイブレーション)であり、それを身体で感じるには、爆音がふさわしい。それだけではなく、爆音上映という方法もろう者にはとてもふさわしい。視覚的中心に行動をとるろう者は映像というメディアの存在はとても大きいのであり、爆音上映は「響音」を伴った映像を知覚体験させてくれるのだ。 

冒頭に出てきた、ウード奏者のアラの演奏場面には、僕にとっては衝撃的だった。なぜなら、ウード(ギターに似ているアフリカの楽器?)から発生する音が、信じられないくらい手にとれるように鮮明に僕の身体に響いてきたからだ。ウードの弧をアラの指が弾いたり、押えたりする映像を見ながらリアルタイム(この言葉はおかしいかな?つまり音の発生する瞬間を見ながら、その音の振動を感じ取れること)に響びくのを感じる。こんな体験はおそらく初めてかもしれない。これも爆音上映様々である。アラの独特な演奏格好にも見入ってしまった。自分の弾き出す音を耳だけでは足りないとでもいうかのように、頭を横に下げてウードに密着させているのだ。この格好はへんてこだけど、ろう者にぴったりじゃないか!とうれしくなったものだった。