「ハプニング」

どこかで見たことある光景だ。田舎にぽつんと建つ一軒家、何にもない野原、車が少ししか通らない無表情な道路。それらの風景に、魂を抜かれた人間が不自然に現れる。ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」だ。だが、「ゾンビ」はうろうろしながら、ずっと動いている。この映画では、異常現象からくる謎の病にかかった者はまず突っ立ったままになり、しばらくして自殺するという短い間の出来事で終わってしまうが、「ゾンビ」もこの映画も原因不明なままであり、背景をもたない、ただそこにあるだけの不気味さが画面に滲んでいる。ゾンビも自殺する者も人間の形は保っているものの、物自体と化し、人間が獲得してきた感情、思考、行動などが無意味になってしまった時の状態を露わにする。

ハプニングに直面する恐怖感というより、見えないものに追われ続けるという、敵が見えない不気味さ。あるいはつかみどころがない不安感。この映画では人間が次々とばたばた簡単に死んでしまう。死という生なましさがなく、ぞくぞくといった感じは出てこない。そう遠くはない地球が滅びる時ってゆうのはこんな感じになるんじゃないかと思わせてしまう。1人暮らしのおばあさんの性悪な行動はこの世紀末的な騒動のなかでは、映画的にずれているとしかいいようがないが、それもまた別の不気味さが出ていて、小気味好い。モデルハウスのニセモノに覆われた空間というのもまた違った不気味さがある。漠然とした空虚感が映画を支配しているなか、ただひとつ恐怖感が出てくる場面がある。二人の少年が、窓、ドアが全て閉じられた小屋で内に潜んでいる者から鉄砲で撃たれる場面だ。物体と物体が衝突する過激なアクション。血まみれになる少年を前に感情を揺さぶられ泣きじゃくる主人公。唐突に起こった出来事だが、人間の感情がもろに出た恐怖感が観客にも伝播する。だが、その時も敵は顔が見えないという不気味さが恐怖感をすぐに覆い被さってしまうのだ。ラストで主人公の妻に妊娠が発覚し、新しい人生の予感を感じさせた後、次のシークエンスでは世界の別の場所で原因不明の異常現象が起こるというつながりと同じだ。