「ぶるうらんど」

〈ぶるうらんど〉とは、どうやら死後の世界のことらしい。世界的画家である横尾忠則が書いた4つの短い小説からなる「ぶるうらんど」という題名の短編集を読む。4つの短い小説と書いたけど、実際は4話ともストーリーが一話ずつズレた感じで連なった仕組みになっている。「ぶるうらんど」「アリスの穴」「CHANELの女」「聖フランチェスコ」のタイトル順で4つの短編が続いているのだが、〈ぶるうらんど(ブルーランド)〉の言葉は「アリスの穴」のなかで初めて現れる。「アリスの穴」ではタイトルをほのめかす内容になっているのだが、次にくる「CHANELの女」で主人公の作家は書き上げた作品に「アリスの穴」と名付ける。ついでに「聖フランチェスコ」では CHANELの香りがする中年女が主人公を家の中に迎える、というジグザグな構造になっている。見方によっては1つの小説ともいえる。4つの話は全て来世での出来事である。

来世の世界を書いたこの小説を読んでいるあいだ、僕の頭のなかは普段には感じることがない奇妙な感覚がずっと占領したままだった。途中で読むのを止めた後でも奇妙な感覚が引きずっていて、残夢を見ているような感覚がなかなか消えない。これは、例えばファンタジー小説や、シュールな小説などを読むときの印象とはまた違った、なんとも言えない感覚が漂う。何というか、全編に渡ってほんの少しも湿り気がなく、からっとしている感じなのだ。小説のなかでは主人公が煩悩する場面がいくつか描写されるんだけど、読み手のほうでは、その状況を遠くからたんに眺めているだけで感情移入することはほとんどない。現世にいる僕が体外離脱して来世の様相を眺めるという意味不明な構図だ。小説に書かれる来世の世界と僕のいる現世の相違から来る感覚の違いというのとも違う。現世でも来世でもない時間に宙吊りとなったまま、キラキラとした陽光に手をかざしたまま話の内容をなぞっているとでも言えばいいだろうか。読んでいるあいだ、目の前に浮かぶ光景がどこまでもクリアなままだ。この小説を書いた横尾忠則は本職が画家であるので、僕が今までに見てきた彼の絵画作品のイメージがこの小説を読む時の奇妙な感覚に影響を及ぼしているのかもしれない。主人公が回想をする場面がたびたび出てくるのだが、生きていた頃の感覚をすこしでも思い出そうと懸命になる。また、死後の世界なのに「今ここに」いる感覚のディテールに執拗にこだわっている。時間の存在しない場所で時間を知覚する感覚が実存世界の側にも伝染する。死後の世界でそれをやることの不条理さを通り越して、ある一種の滑稽さが現出する。言葉のディテールというよりもマチエールのディテールを感じる。画家としての横尾忠則がときどき顔を出す。主人公とその妻が来世と現世を往来しながら夫婦間の愛を確認していく様子がおぼろげに現れてきたときにこの小説は終わる。物質世界から非物質世界に空間を移行しても精神は精神としてある。だが、僕の頭のなかは夢うつつのままだ。