「コックファイター」

賭けに熱中する観客に囲まれる円形闘技場の中心には足に剣を付けられた2匹の鶏が激しくぶつかり合う。スローモーションで美しい放射状を描く血しぶきをよそに鶏の一心不乱な表情には闘争本能以外何も見当たらない。お互いぶつかる直前にジャンプをする時、鶏の首から頭部を中心に置いた羽根の円形の華麗なえりが瞬間的に出現する。鶏の視線の中心には色は違えど自身と同種の敵がいる。周りは何もみえない。敵が死ぬと中心が無くなり、観客は解散し、円形の中心は空洞になる。
闘鶏トレーナーの中年男フランクは、過去にライバルとの勝負に破れて以来口をきかない。メダル(チャンピオンになること?)を獲得するまで口をきかないという誓いを頑に守っている。ライバルのジャック、トレーラーと一緒に売られてしまう少女、久しぶりに会う家族、コンビを組む養鶏場オーナー、そして愛する恋人にさえ一切声を出そうとしない。しかし、映画のストーリーは主に人物間の会話でスムーズに進行してしまう。何故ならフランクと出会う登場人物がフランクの言わんとしていることを勝手に代理して話してしまうからだ。口をきかないフランクだが、主人公であるがゆえに周りの者が現実的次元ではなく映画的(虚構的)次元で映画的主人公を映画的透明さで補完し合っている。フランクを中心に世界は回っているかのような荒唐無稽さが、誰も考えたことのない闘鶏の映画化に辿り着くのだ(結果的には興行大惨敗)。映画は誰かを中心にしないと作動しない。闘鶏をあきらめきれないフランクは恋人に俺の生き様を見せるために闘鶏大会に招待する。恋人の前でフランクは愛の力によって久方に発声するのだが、恋人は動物虐待の現場を目の当たりにし堪忍袋の緒が切れてしまう。非人格者を前にして秩序ある者は離れていく。しかし、恋人に振られたフランクはショックどころか、曖昧な微笑を残し闘鶏会場に戻る。自己中心者、根無し草のフランクがもつ信念や情愛が映画を動かしているように、世界を動かしているのは非理性的なものであり、カオスでもある。システムの下には得たいの知れない不可解なものが鳴りを潜めている。あるいは何にもないのかもしれない。中心にあるのは権力であるが、権力の下には空洞が広がっている。