「日本写真の1968」

美術、映画鑑賞から遠ざかっている現今のなか、仕事、絵画制作、手話講座の合間をかいくぐって東京都写真美術館へ「日本写真の1968」を見に行く。またもや1968年前後の時代にたいする憧憬とも幻想ともつかないような何かよくわからない情緒から今回は恵比寿に足が向いてしまった。1972年生まれの僕はあさま山荘事件全共闘をモチーフに作品を描いたことがあるし、いままでに60、70年代の革命運動をテーマにした国内外の映画をたくさん見てきている(最近ではアサイヤスの「カルロス」がとても良かった)。過ぎ去ったイメージでしかないことはわかっていても、現在の時代にはない激しい情熱感、そして喪失感というあの時代独特の空気に少しでも触れてみたかったからかもしれない。

会場に入って最初に目にしたのは東松照明の「奄美」シリーズの作品。1968年に開催された「写真100年−日本人による写真表現の歴史展」を再考する展示空間が隣接し、今や伝説的にもなっている写真雑誌「プロヴォーク」を中心に当時、新進気鋭だった写真家の作品が「歴史展」のパネル群に続き、広いギャラリーに出ると学生運動や社会闘争を撮った写真や映像の展示が当時の雰囲気を取り戻すかのようなちょっとしたカオス的状態になっている。一方、片隅には日常的なものを写したコンポラ写真が控えめに展示されている(牛腸茂雄の作品は何度見ても身の毛がよだつ)。世界同時的に反体制運動が沸騰していた時代のなかで、写真家はそれぞれの態度をもって写真を撮っているが、当時の時代に隆盛してきたカルチャー、思想、生活様式などと呼応しながら多様な写真作品を生み出している。それぞれの表現の仕方やアプローチは違っても同時代的な匂いはどの写真作品にも逃れることのできない痕跡として張り付く。特に記録性の高い写真や映像は被写体あるいは現実の対象を切り取ってしまう。60、70年代だけに限ったことではなく、過去や現在にもどの時代にも作品に時代性がまといつく。同時代的な匂いと写真家の個(ユニット’69という集団撮影の無名的な写真もあるが)が相互作用的に反応しあって、時代を超えた持続のある作品が生まれる。出来事と状態の関係性があり、時代的なものが作品に侵入すると同時に作品にある表現性、固有性が社会に跳ね返る。作品にその関係性がダイレクトに、現在よりも幸福な形で現れてきたのが60、70年代だったのではないか。学生も表現者も含めて当時の人々は、これまでの枠組みや既成概念を破壊しようとしてきたが、やはり何か信じるものがあって善に鼓舞されながら社会と密接してきたのだと思う。たとえ、革命は失敗であったことや、エゴでしかなかったことが大いに判明になるとしてもである。出口が見えたところ最後のギャラリーには、東松照明の作品が再び展示されている。写真史を少しでもかじった者なら誰でもが知っている「太陽の鉛筆」シリーズの沖縄諸島を撮った作品である。島に始まって島に終わる、東松に始まって東松に終わる(最初と最後の展示空間は腰までの高さのショーケースを挟んで、吹き抜けになっている)。この展示構成の意味は、1968という出来事にたいするメタ写真(メタ視線)なのだろうか。