前衛詩人のような自画像

一見男性のように見えなくもないが、性別不詳な顔がA3を一回り大きくしたサイズ(B3?)の支持体をはみ出している。大きく描かれた鼻のうえに2つの目玉がぎょろりとしているのだが、見る者の視線と対向することなくわずかに逸らしてる。同サイズの支持体が横一列にびっしりと並んで展示されているのだが、1つの顔が2つに分離し、2つの顔が3つになっていく有り様が画面ごとにエスカレートしている。多少の並べ替えはあるがほぼ制作年順に展示されている画面の連なりを順次に追っていくと、顔の輪郭が次第に消滅し、目玉だけが増殖している。様々な色彩のバリエーションがあり、目玉と目玉を連結する線のリズミカルな模様が脳裏に焼き付く。次第に様式化されていく装飾パターンは強迫観念のような執着性というよりも無意識的なオートマティックが固定化していくという印象がする。顔の形がまだ判別できる作品(3つの分離辺りまで)の目玉は鮮やかなガラス玉のようであり、精神の分裂や内面性の混沌を突き抜ける強度が凝集されている。その時点からすでに作者(前衛詩人によるプライベートな性質を持ったドローイングの為、作家ではなく作者と記した)の意識は目玉に向かっているのであり、後に展開されていく目玉の増殖と有機的に結びつく網状な線が拡張するパターン的な表象へ生成変化している。目玉に対する意識は精神が出入りする窓口としての目玉ではなく、目の前にある事象をとらえる視線を有する視覚器官としての目玉そのものであり、目玉を増殖し装飾化することによって意識から無意識、具体的対象(指示対象)から抽象的対象(装飾的イメージ)への変移がおこなわれている。フラットな空間のなかで増殖した目玉はおびただしい視線が一遍に出現するが、目玉の持つ意味は消失し、顔の輪郭が残されている作品の目玉の視線不一致に現れる他者と関係を持たない性質をそのまま保っている。異質な他者の存在や外部からの衝撃から日常生活における自己を否定したときに目玉だけが残り、自己の複製イメージを繰り広げる。作者にとっての終わりのない歪な世界があり、存在(主体)の現われの背後に広がる純粋なイメージが紙とクレヨンによって発現されている。受苦としての表現ではなく潜勢力の覚醒(拡充)なのである。
http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/2017shinohara.html