「佐藤」「甘い」「砂糖」「デザート」、4つの手話単語は同じである。指を伸ばした右手の手のひらを口元において回す。ろう者がこの同じ4つの単語を区別できるのは、口型(口の動き)と非手指動作、そして文脈の位置関係によってである。手話は同音異義語が多い(「音」の字が入っているが、音声言語と同じ意味として手話に当てはめている)。<佐藤は甘いものが大好きなので、食後は必ずデザートを食べる>。この短い文のなかに意味の異なる同じ手話単語が3つ出てくるのだが、ろう者は問題なく瞬時にインプット/アウトプットできる。しかし、手話を学ぶ聴者の講習生が3つの区別を習得するには並大抵のことではない。非手指動作(NMM)は、主語の「佐藤」の時には頭を少し下げて一時停止する一方、「甘い」「デザート」はやや頭を上げる、もしくは直立面のままというような、頭、眉、肩など上半身の些細な動作によって語の意味を使い分けている。口型(マウジング)は日本語の借用であり、サ/ト/ウ、デ/ザ/ー/トと口の形を動かす。もちろん音声はともわない。全日本ろうあ連盟は新しい手話を作成し、本の出版などによって普及しているが、新しい手話のなかには同音異義語を意識してか、指文字+手話を組み合わせた手話単語が多い。だが、実際のろう者の生活のなかでは、指文字+手話の使用頻度は低い。マウジングと該当する手話単語で事足りてしまうのが現実のようである(僕もそうだ)。ろう者がマウジングを使うのは、たんに指文字+手話よりも速く相手に伝達するのと、指文字+手話は若干使いづらいからである。これは自然言語の成立条件のひとつである言語の経済性によるものである。それに対して指文字+手話は人工言語の感じがする。日本語の言語的経済性の例としては、「新たな」→<あ/た/ら(しい)>から<あ/ら/た(な)>の言語変化がある。実はマウジングそのものにも言語変化が発生する。マウジングは日本語の借用システムのひとつであるが、手話の時の口型と音声の時の口型は異なる。手話の時の口型は音声リズムを逸脱し、手話のリズムに合った口型に変化していく。僕の手話指導は日本語(音声または書字)、テキスト、説明を使わないで、オール日本手話(対するのは日本語対応手話)でインタラクション中心に進行するナチュラル・アプローチ方法を使っているのだが、同音異義語を導入するたびに講習生の困惑的反応が若干起こってしまう。講習生は第二言語(第三言語?)として日本手話を学習するわけだが、第一言語(あるいは母語)の音声言語(日本語)、第二言語の視覚言語(日本手話)という2つの言語構造の違いはとても大きい。だが、日本手話は音声によらない、日本語とは異なる文法体系を持った独自の言語であると同時に、日本語による言語接触の影響を多大に受けているのである。