『夢の男』2022年バージョン:KAAT 神奈川芸術劇場

 KAAT 神奈川芸術劇場のプロジェクト「視覚言語がつくる演劇の言葉」は、昨年に制作した短編映像作品『夢の男』のテキストをもとにした同タイトルの短編作品を引き続き制作している。オンラインで映像配信されているので、昨年の作品に続きYouTubeで拝見する。2021年版では聴者(藤原佳奈)が演出を担当していたが、2022年バージョンはろう者(今井ミカ)が担当している(スタッフ・キャスト情報には「映像」の表記となっているが、トップにあることから「演出」と同様の認識とさせていただく)。それだけではなく、前作のろう者の参加は出演者1名のみだったのが、今作は協力者も含めて3名のろう者が企画の段階から制作にかかわっている。ひとりのスタッフに演出の立場を一応置いていると思うが、前作も今作も協働制作の形に重きを置いていることに共通性があることは概要に記されている通りである。2022年バージョンの作品自体については、聴者が書いたテキストをろう者の言葉に翻訳したうえでろう者の視点から聴者とろう者が属性の違いを超えて共有することのできる視覚言語を最終到達点として映像的に設えた作品とひとまずは言えることができると思う。視覚言語を第一言語とするろう者がそのような属性を超えた別の形の視覚言語に昇華していくプロセスが10分超の短編作品の全篇にわたって行き渡っている。アフタートークで協力者の數見陽子さんが仰っていたように、言語レベルとしての「手話」と言語レベルに届かない「身体表現(身振り手振り)」の境界線に最大の注意を払いながら属性を超えた共有性としての視覚言語を作品の中で生み出している。「手話」と「身体表現」の間をギリギリ彷徨うような表現方法は、聴者の俳優のみに与えられているが、一方で最初から視覚言語を身につけているろう者の俳優にとって、作品内における属性を超えた視覚言語=身体表現はCLの表現となっている。(5本指の)手のひら、2本指、1本指の3つの手型の類別化と意識化を中心としたCL表現を一箇所の限られた空間や限定的な内容の中で最大効果的に行っている(1本指の手型はCL表現というよりは指向性の表現とした方が正しいだろう)。しかし、ろう者の俳優からバトンタッチされるようにして聴者の俳優もCL表現を行っている。聴者の俳優は先ほどの「手話」に届くギリギリ手前の身体表現と「手話」からの連続性をもつCL表現を同時に行っていく中で、身振り手振りのような動きも次第にCL的(ろう者的)に洗練されていく様相が見てとれる。CL表現によってろう者の俳優と聴者の俳優の身体が入れ替わっているが、夢の男のいう無くした身体というのはどこかにあるのではなく、2人の身体の間を横断しているようでもある。身体表現のみならず、聴者の俳優は音声言語を発し、ろう者の俳優は手話言語を使う場面が随時に出てくるが、手話から身体表現までの視覚言語へのベクトルが支配する空間の中で、聴者の俳優が音声を出す行為には亀裂が走るような異質さが際立っている。そのような異質さは共有性に向かう視覚言語の空間において、聴者の身体の現前性が露呈する瞬間の破壊力があり、ろう者の身体との差異を否応なく突きつけられる。そのような異質さと作品における表現とのつながりはおぼろげな様相であり、音声言語による表象自体の唐突性だけがひっそりと現れている。今作に描かれる視覚言語へのアプローチは2021年版の作品でいえば、ろう者と聴者が属性の違いを超えて協働する4幕目の表現方法と対比することが考えられる。2021年版は1幕から3幕までのろう者と聴者による言語表現の違いから漸次的に一段上の視覚言語に合流していく流れのうえで4幕がつくられてきた経緯があり、言語的要素をほとんど排除した身体表現のみで身の回りにある小道具や設備品を絡ませながら2人の俳優の身体の体感が伝わってくるような演出が行われていた。つまり小道具や設備品の日常性が夢の世界と戯れる2人の身体を現実的感覚にかろうじて繋ぎ止めている。言語的要素を排除されながらも1幕から3幕までの属性による言語で語る身体性(聴者やろう者の特性)が延長された状態を保持しつつ、属性を超えた共有性のある身体言語を目指しているような感触が伝わっている。それに対して今作の演出というかその(映像的)表現方法の中心には、内部と外部の境界線をあいまいにする半透明の白いカーテンに二重に包まれた母胎のイメージを彷彿とさせる美術装置があり、夢の中の出来事としての非日常的空間に徹し、それぞれの属性から現実的感覚を引き離した先に出現する共有性のある身体言語といったイメージを醸成している印象がする。また、2021年版には見られなかった、一方の人物が他方の人物を導いていく直線的な動線が作動されているような印象を全体から感じる。共有性を獲得した視覚言語が純度の高い身体言語へ抽象化していくイメージは、徹底した非日常的空間の中においてこそ生成されていくのかもしれない。

https://www.kaat.jp/d/shikakuyume2022