「女鹿」

先日、久々に得体のしれない、とんでもない映画を観た。クロード・シャブロルの「女鹿」だ。1968年のフランス映画である。1968年のフランスと言えば、今までにない新しいタイプの学生主導の革命運動である5月革命が起こるのだが、「女鹿」を観ると、同じ年にフランスで撮ったとは思えないほど、当時の社会的激動からは、かけ離れた静謐な別世界で撮られた映画であるかのようだ。学生の敵であるブルジョアを中心に置いた映画ではあるが、美しい娘の放浪画家を家に招き入れることによって、ブルジョアの世界にヒビが入っていくことになっていく。この文章だけをみれば、無産者によるブルジョアへの復讐という印象が来るのだが、この映画では、このありきたりな関係をはるかに超えた官能的で摩訶不思議な女同士の関係が恐ろしいほどに濃密に描かれている。支配者と被支配者の対立的立場にいる2人の女はレズビアン的関係から1人の男性をめぐる愛憎関係へと華麗に移り変っていくのだが、実はどこも変わっていないという、曖昧でつかみどころがない関係のまま、ラストでは片方が殺されてしまう。ストーリーにも登場人物の言動や顔の表情にも因果関係がもつ健全な意味は全く現れてこない。どこまでいっても意味不明のままである。2人の女性の単に動き回ったり、囁き合う身体や画面を覆う不気味さだけが余韻を残す。最後には、この映画の制作年(もしくは公開年か?)である1968年にふさわしく、ブルジョアを殺害することによって無産者の勝利が用意されたのであるが、それも数多ある過去の出来事のひとつに埋没していくように無表情のなかで映画は終わっていく。