「トスカーナの贋作」

未だに夜9時の鐘の意味がわからない。音による想起なのだろうか。それにしてもイタリアの夜は明るすぎるため、日本人の僕にとっては時間感覚を整理できないままに終映をむかえてしまう。ラストの雰囲気からすると、どうやらこの中年の男性と女性は本当に結婚していたらしい(?)。英国人作家とフランス人ギャラリストは出会い始めた頃は互いに作家とファンの一般的な距離関係を保っていたが、カフェのママが夫婦と勘違いしたところから夫婦としての関係を演じるようになっていく。その過程がとても面白くもあり、頭が硬い僕にとっては苦痛でもあった。偽の夫婦なのか、それとも本当の夫婦なのかその境目が僕の頭のなかで行ったり来たりする。だが、二人の中年は始終本気でぶつかりあっている。作家は偽物とは何か?死とはなにか?と哲学的な問いをファンでしかない他人の家族問題に突っ込み、情緒不安定気味のギャラリストは子育てに追われる現実的な生感覚を作家に向かってありえないくらい赤裸々にさらけだし、ワインのまずいレストランでピークアウトをむかえる。レストランに入るまえに老人のアドバイスをもらった作家はそっとギャラリストの肩に手を添える。それに静かに感激するギャラリストは口紅とイヤリングをつけておしゃれな格好を作家の前にさりげなく見せる。この一連はフェイクか、オリジナルかの夫婦関係を越えた、たんに1人の女性と1人の男性の素の関係であり、このシンプルな行為が一番美しく、そしてとても脆く儚い。真実はあまたの言葉より行為の一瞬に潜んでいる。だがその真実に気づくには教会を出てきた高齢の夫婦の次元にまで辿り着かなければならないのかもしれない。現代の人間はあまりにも通常的なモノの考えにとらわれすぎて、本質を見ることができないでいる。この映画によって、世の中の因果関係を突き抜けたフェイクでもオリジナルでもどっちでもない真の無限状態を受け入れられるかどうか僕は試されている。