「ブラック・スネーク・モーン」

残り3ヶ月あるが、早合点して今年ナンバーワンの映画に決定することの誘惑に駆られる、その映画の名は「ブラック・スネーク・モーン」。(現在、渋谷シネ・アミューズで上映中なので、必見!)

鎖で繋がれたセックス依存症の女を監禁という形を借りて至上の愛を注ぎ込む、妻に捨てられたばかりの黒人初老。この倒錯的な男と女の交流は、やがて魂の救済と再生への道を開いていく。夫婦となったセックス依存症の女と情緒不安定の男が大型タンクローラーに囲まれた時、お互いに自分の内側から起こる発作に必死に耐え続ける美しいラストでこの映画は幕を閉じる。この映画はグレイグ・ブリュワーという優れたストーリーテラーによって正統的な物語が貫かれている。ブルースやアメリカ南部の物語であることからも伺えるように古典的な感じがしないでもなく、映像感覚やスタイルからしてみれば新しいものはない。にもかかわらず、これまでに見たことのない新しい独創的な映画になっている。形式的ではなく、内面からくる人間のエモーション、人間であることの不可解さ、矛盾のまま私達に提示される世界に真摯に向かうことから出発した力強い普遍的な視線が現代を生きる我々にとって新鮮なものに映じられているからなのだろう。単純であって、単純ではない。そんな感じの映画だ。

映画の冒頭とラスト近くに伝説のブルースマンサン・ハウスの記録映像が挿入されているように、この映画はブルースから生まれた映画である。サミュエル・L・ジャクソン演じる黒人初老は重要な場面でブルースを熱唱し、セックス依存症の女もブルースで救われる。サン・ハウスも映画のなかで、「ブルースは男女のもつれから生まれる」の言葉を投げかけている。この映画はまさに音楽の偉大な力が隅々までみなぎっている。音楽の持つ力がこんなにも人間のエモーションを強く揺さぶることができるのか?という疑問は、音のない世界に生きる僕にとって、死ぬまでに一度は確認してみたいことのひとつだ。補聴器などで音の震動から音の一部を楽しむことはできるが、聴者の音楽体験には全然はるかに及ばないだろう。ろう者は音楽の代わりになるようなものってあるのだろうか?それとも必要とすることはないのだろうか?