トミー・リー・ジョーンズのしわ

今年の浦和はもう終わった…。あきらめの早い浦和依存症の僕は無気力になってしまい、何に対してもやる気が出てこない。気を取り直したいのだが、ゲルトは自信喪失のまま(顔を見ればあきらかだ)今季の試合を指揮し続けるのだから、フラストレーションがますます溜まってしまう。監督を変えるタイミングというのはとても難しいことは十分解っているつもりなのだが、選手までがモチベーションを低下させている現況では、至急変えなきゃならないはずだ。来年以降の監督については、慎重に吟味しながら選ばなければならないが、今は嫌な空気を取っ払うためにとりあえず他の日本人コーチでも監督になったほうが良いはずだ。福田でも、広瀬でも今季限定監督をやってくれればと思うのだが…。個人的願望だが、来年はオシムにぜひやってもらいたいものだ。(ゲルトは浦和のコーチに再び戻ったほうがいい)

さて、映画の話に戻ろう。かなり前のことだが、「告発のとき」を見る。まぎれもない傑作だった。監督のポール・ハギスは脚本家出身なのだが、ストーリーテラーがここまで映画を撮るってのは、なかなか無いはずだ。映像に対する信頼と技ありの物語進行、そして何よりも現在の世界に対する深い倫理観が素晴らしかった。この映画はアメリカの底知れぬ混迷にとことんと付き合っている。アメリカ的正義が幻想であったことを悟った後、アメリカ人は何をなすべきか、どうせざるを得ないのか、答えのない問いを繰り返している。兵士仲間に残酷な死体にされてしまった息子の姿よりも、ドクターとあだ名を付けられるほどイラクで非人間的行為をした息子の輪郭が次第に明瞭になっていく。その信じがたい現実を受け止めるしかない、そのあまりにも絶望な父親の姿は、国家的危機を意味する、逆さに挙げられた国旗が示すアメリカそのものだ。(アメリカより最悪なのは、逆さにすることができない全く危機感ゼロである我が日本ではないのか?)いや、アメリカだけではなく、世界全体そのものだろう。トミー・リー・ジョーンズのしわだらけの顔は、「ノーカントリー」に続いて、この「告発のとき」でも、現在のアメリカを正確に表現せしめたのだ。トミーのしわの襞には無数の真実が織り込まれている。

それにしても、アメリカ映画はなぜこうも素晴らしい作品が次々と出てくるのだろうか。政治的には世界最悪なアメリカが、世界最高の映画文化を創っているこのアンビバレントは何だろう?