ジム・ランビー:アンノウン プレジャーズ

ひっそりとした閑静な住宅街にある近代的価値を有する元邸宅。玄関に近づくと沢山の客を乗せたバスが通り過ぎる。今朝、とある駅前で見かけた派遣らしき労働者を詰め込んだバスとは正反対の印象がよぎる。元邸宅の中に入ってみると、白黒の幾何学的模様が僕の視界にとめどなく侵入してくる。館内の複雑な構造には、かまいなく隅々まで同じ白黒模様が貼り詰められている。レコードジャケットが詰め込まれた正方形近くのコンクリート塊がそれぞれのスペースにぽつんと置いてある。この変なオブジェは、とりあえずこの空間では音楽を耳で聴く代わりに目で感じてみようよと言っているかのようだ。ジム・ランビーは美術活動の傍ら、バンド活動やDJをやっているとのことだが、美術と音楽の二つの世界を行き来するなかから作品を生み出しているのだろう。聴覚世界から視覚世界へ、あるいは逆のベクトル。この2つの世界を横断する知覚体験は、聴覚を有しない僕でも、視覚による刺激や身体全体を覆う空間体験で音楽の世界を楽しむことができるのかもしれない。でも僕はあれこれの音楽がどんな音を発するのさえわからないのだから、音楽的な作品を前にしても僕は音楽をでたらめに勝手に空想するしかないのだが、音楽からインスピレーションを受けながら視覚的な作品を創造している様々な美術家の作品をみることによってあれこれの音楽の違いを想像してみることはできると思う。音楽といえば、やはりリズムなのだと思うから美術作品はリズムを視覚化したものがほとんどだと思う。だが、ジム・ランビーの作品は、リズム的イメージをはみ出した何か別の匂いも感じることができる。ビビッドな幾何学的模様は知覚に快楽をもたらしてくれるが、それとは別にジム・ランビー本人が身を置く英国社会という背景も垣間見せてくれるようなポリティカルな面も感じられる。今朝見た、バスに入ろうとするヘッドフォンをした労働者とジム・ランビーの作品は同じ匂いがし、強力な糸で絶対繋がっているはずだ。そう思った瞬間、ジム・ランビーの作品体験はとても重要なことのように思えたのだった。