類まれな才能を持った女優、小池栄子

池袋で、「人はセックスを笑うな」と「接吻」の邦画2本立てを観る。まず、「人はセックスを笑うな」。タイトルに似合わず、のほほんとした映画だった。将来アトリエを構えたいと思っている場所、群馬県桐生市がロケ地だったので、興味深く観ることが出来た。やっぱり桐生市はすばらしいところだ。肝心の映画自体についてだが、良くも悪くも日本映画の枠を超えていないという印象だ。俳優のあまりにもリアルな自然体演技には、なぜか戸惑いを感じた。映画的身振りに見慣れすぎたせいなのかどうなのか分らないが、実生活の中で当たり前に行われている身振りが映画の中で自然な姿として再現されると、どうもしっくりこない。日本人特有のニコニコしながら話す姿は映画には似合わないような気がする。まあ、この映画自体がのほほんとした雰囲気だったからそれなりに溶け込んでいたことは確かだ。井口奈己監督の演出された画面は、どれもオーソドックスではあるが、映画的センスが散りばめられていた。だが、こういう小さな世界をのほほんと叙情的に撮ってみせると、多くの観客が、今生きている世界はこれでいいんだと変な風に受け止められてしまうような気がするのは、俺だけか?

2本目は「接吻」を観るのだが、一本目ののほほんとした感じの余韻を一瞬に消滅してしまう、強烈な映画だった。冒頭に始まる豊川悦治の人を殺すという目的はあるものの、無意識的に歩くシーンには、ぐいぐい引き込まれた。そして、何よりも孤独なOLを演じる小池栄子があまりにも素晴らしかった。バラエティ番組の同一人物からは全然想像できない、殺気立った迫真かつ冷静な演技は超一流だ。テレビに映る一家無差別殺人犯のほくそむ笑顔に運命を感じ、全く接点を持たない相手に向かって盲目的な愛をまっしぐらに進む姿は、狂気のさだとしか言いようがないが、誰にも理解されない愛は真実の愛でもあるかのようだ。だが、被告人は孤独なOLの愛を受け止めると同時に外部の世界を取り入れたがゆえに、控訴をすることによってOLを裏切ってしまう。お互い世間から見放された孤独な人間同士であったが、出会うことによって次第に対照的な存在へと別離してしまう。殺人犯は外部の世界に触れてしまった結果、社会的意識をもってしまう。つまり男性は社会的責任や社会的立場を選ぶ。逆にOLは妄想的世界をますます不可逆なものとし、本能的行動を極限にまで達していく。女性は自己の野心を恋愛の成就に最大限に賭けている。根源的な性による差異がこのような結果に至らしめたのだろうか?それよりもラストシーンの不可解さ。タイトルにも使われている、最初で最後の一回きりの接吻が出現する。OLは、愛する被告人を裏切りの復讐として殺害したあと、刃物を取り上げた仲村トオル演じる弁護士に咄嗟に接吻するのだ。殺人犯と弁護士の二人の男性の間で起こった心情的なものが、意味不明にしか見えない接吻につながったとしか推察できない。接吻のもつ意味よりも接吻の唐突なアクションにただただ目を奪われるだけだ。